2024年03月18日

亀田の「梅の花」


新潟市江南区亀田の「梅の花」です。
亀田の梅は「藤五郎梅」というブランド梅です。
6月には大粒の立派な青梅が市場に出回ります。

この花が美味しい梅の実になります。

梅の花。美しいです。








亀田ではこれから「亀田梅まつり」が開催されます。

美味しい梅の実も楽しみです。\(^o^)/

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2024年03月17日

桜の花芽‐2024年3月17日


2024年3月17日(日)
鳥屋野潟公園の「桜の花芽」です。
ここまで蕾がここまで大きくなっています。
関東では暖かくなっているのであと1週間くらいで開花だそうです。
新潟はもう少し時間がかかりそうです。
昨日、今日は良い天気で気温も高めですが、また寒くなるそうです。
「三寒四温」が繰り返されている新潟です。

桜の花芽。






天気が良いと自転車で走り回れるので写真を撮りに行くのが楽しいです。icon06icon06(^o^)(^o^)icon06icon06

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2024年03月16日

OJIJIの旅-15②


OJIJIの旅-15②
2023年12月18日(月)

愛媛県今治市から香川県丸亀市そして高松市を過ぎて徳島県に入り、
途中、徳島県内の風光明媚なところを見物しつつ、海岸沿いを走り
「高知県、室戸岬」まで来ました。
「四国」はうどんを食べまくるというのが「主目的」でありますが
この「室戸岬」も来たい所でした。そして「坂本龍馬」との再会です。
太平洋に面して、異国へとつながっているところはOJIJIには異文化の地です。(笑)
そんなことで「室戸岬」まで来ました。

室戸岬です。




室戸岬には太平洋を見渡すように「中岡慎太郎」の銅像が立っています。
中岡慎太郎は幕末の志士として有名ですが
越後ojijiはあまり興味がありませんでした(◍>ᴗ<◍)失礼!!!


室戸岬からみた風景です。太平洋です。


広々と大きく見える太平洋です。
天気がよく海は凪でした。


さて室戸岬を後にして「桂浜」を目指しました。

国道55号線で高知市に向かいます。
途中の「安芸市」は三菱の創業者である「岩崎彌太郎」の生誕の地です。
国道沿いに岩崎を顕彰し街をあげて岩崎の功労を称えるものがありました。
「中岡慎太郎」「岩崎彌太郎」そして「坂本龍馬」
流石に「土佐=高知」です。近代日本を作り出すために活躍した人々の
名前がいたるところに出てきます。\(^o^)/

16時50分。名勝「桂浜」に到着しました。

17時「坂本龍馬」像との再会です(^o^) 
龍馬像とは二度目の出会いです。


坂本龍馬 日本の未来を見ているように思えます。


坂本龍馬 しっかりと太平洋を見ています。


龍馬像を背にして桂浜に降りていきます。


桂浜です。


冬の夕方にここに着いたので光の状態があまりよくなく、
写真がきれいに撮れませんでした。ちょっと残念。

12月18日真冬の高知県桂浜です。
17時26分太平洋に陽が落ちていきました。
寒かった。


桂浜に着いた時は夕方だったし、寒かった。
越後ojijiはOJIJIなので「桂浜」から駐車場に戻るのに方向が分からなくなり(認知症の始まりかな?)
グルグルと徘徊していました(笑)
周りはドンドン暗くなっていきます。係の人に何度か聞きながら元の位置に戻りました(笑)(笑)
駐車場に戻った時は真っ暗でした。
「桂浜」から「高知市内」を目指しました。
高知市内に入りましたが日没後だったので、有名な「はりまや橋」も通ったのですが
写真に撮ることはできませんでした。過去に高知市に来た時も「はりまや橋」を
写真に撮ることができなかったので今回は是非と思っていたのですが残念でした。
高知市を出て、国道32号線で坂出市に向かいました。

今回の四国は四国全体を半周するかたちでした。
四国も一周したかったのですが、だいぶ疲れていました。
「足摺岬」にも行きたかったのですが・・
しかし、四国に来た主目的である「うどんを食べまくる」
次は四国での「うどん」の話です(笑)

つづく。

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2024年03月15日

OJIJIの旅-15①


OJIJIの旅-15①
2023年12月18日(月)

愛媛県今治市から国道196号線を走り国道11号線に合流して
香川県丸亀市に着きました。
前記事に書いたように松山市の方では無く、香川県丸亀市を目指したのは
「うどん」にこだわったからです。「讃岐うどん」といえば香川県。

今日の旅は香川県丸亀市から始まります。

日の出です。
四国で始まった朝も晴れでした(^o^)


ここは香川県丸亀市です。
丸亀市のシンボルである「丸亀城」です。


丸亀城は丸亀市役所に隣接する小高い丘の上にあります。
そこから瀬戸内海を臨みます。
丸亀市の市街地と丸亀港。瀬戸内海です。


「讃岐富士(さぬきふじ)」です。国道を走っているととても目立ちます。
越後ojijiはこの山をみると「四国に来たなぁ」と思うのです。三度目の出会いです(笑)


丸亀市から海岸沿いに高松市に向かっています。瀬戸内海です。


途中で出会ったお地蔵様。
四国も地蔵様が沢山ありました。
四国巡礼の地です。「お地蔵様」は「極楽へと導いてくれる」ありがたい仏様です。


国道11号を走っていくとJR四国の高徳線「引田駅」に着きました。ここは「東かがわ市」です。
現在NHKの朝ドラ「ブギウギ」の作品モデルになった「笠置シズ子」の生まれたところです。
最近、そのドラマにもこの「引田」という地名が出てきました。
何度も繰り返しますが・・(笑) 事前に調べてきてここにたどり着いたのでありません。
次の目的地に行くまでにたまたま通りかかっただけです。
しかし、現在この朝ドラ「ブギウギ」に「ドはまり」している越後ojijiにはとても嬉しい出会いでした。

デフォルメした「笠置シズ子」は愉快な人柄がそのまま描かれているようでした(^o^)


今後の観光スポットや町おこしとして大切な素材です。


駅を観光の足掛かりにしてそこから面的に広げようとする意図がよくわかります。
小さな駅です。駅前には「なにも無い」ところでした。。。


香川県から「徳島県」に入りました。
「徳島県」から「高知県」に向かってひたすら海岸沿いを走りました。


紀伊水道です。対岸は紀伊半島です。


四国の海岸。




香川県から徳島県、そして高知県へと海岸沿いを走っていると
いたるところでこの「施設」に出会いました。
これは「津波避難タワー」です。四国や太平洋側で大地震が起きれば
必ずと言っていいほど「大津波」が想定されます。とにかく、逃げる場所として
「津波避難タワー」が各所にできていました。形式は多少違っていても
津波がきたら非難するところとして大切な施設です。
今回の「能登半島地震」でも津波が大きな被害をもたらしました。
津波が来ると「逃げること」は不可能だと言われます。とにかく、高いところに登ることです。
何か所もの「津波避難タワー」を見ていて、一番良いのは「大地震」が起きないこと。
そして津波などない事。この「津波避難タワー」が「無用の長物」となること。
そんなことを考えながらそして祈りながら見ていました。


四国の海岸沿いも奇岩が散在していました。
全国どこにでもある「夫婦岩」
四国で出会った「夫婦岩」です。


ひたすら海岸沿いを車で走らせています。
次は「室戸岬」と「高知県の桂浜=坂本龍馬」との出会い旅です。
つづく。

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2024年03月14日

JR上所駅の新設工事進捗状況(ホーム)


JR上所駅の新設工事進捗状況です。

「駅ホーム」になるところの鉄骨ができています。

先回は駅舎になるところの鉄骨が組み立てられていることを報告しました。
今回はさらに進んで「ホーム」になるところの鉄骨が造られています。







上の白い部分が「駅舎」になる部分だと思います。



西跨線橋から見ると全体がこんな感じです。



撮影をしている時に丁度電車が走り抜けていきました。


思っていたよりも早く工事が進んでいるように思えます。
来年の春には「上所駅」ができています(予定)。(^o^)(^o^)(^o^)。

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2024年03月13日

OJIJIの旅-14


OJIJIの旅-14
2023年12月17日(日)

九州一周の旅が終わりました。
九州に入った時と同じ「関門トンネル」まで戻ってきました。

関門トンネルの入口です。


トンネルの入口です。
トンネルを通った先は「山口県下関市」です。
下関と言えば「ふぐ」が名物です。この入口は「ふぐ」をイメージしています。
おもしろいですね(^o^)


トンネルの内部を車内から撮影したものです。
運転中に周りに充分注意して撮影したつもりですが、今思うと「危険」ですね(>_<)
カメラが映っていますが、このカメラで動画撮影していました。


さて関門トンネルを抜けて本州に戻りました。
山口県から国道2号線で「東進」しました。来た時と同じ道を東へと向かったのです。
関門トンネルを出たのが午前8時頃です。
そこからひたすら(ほぼ休憩も無しに・・・[(笑)])車を走らせました。
この日も天気が良く快適に車を走らせました。

12時過ぎに岩国市に着きました。
九州に向かう時は夜中でした。その時は「ライトアップされた錦帯橋」を見物しました。
今回はお昼に錦帯橋に着きました。日曜日のお昼です。好天です。多くの観光客がいました。
錦帯橋を撮影・・・・




ライトアップされた時とは違う景色を見た感じでした。アーチ型の橋梁は美しいです。


錦帯橋を見物して広島市に戻り「平和公園」の脇を通ったりして
国道2号線沿いにひたすら走りました。
来た時と同じ景色を反対に見ているのですが、なんとなく見慣れた景色のように錯覚していました。
この後に「四国」に渡るのですが、こんな瀬戸内海の景色を眺めながら「尾道市」を目指しました。


広島尾道市も色々と歴史遺産などがあったり、映画のロケ地になっていたり
尾道ラーメンが有名だったり。
この町も見物したい町でした。地図で尾道市に着いたとわかったのですが、事前に
調べていたわけではないので一体どこが観光スポットなのがわかりませんでした。
1時間ほど街中と周辺をウロウロしたのてすが結局わかりませんでした。
そして雨が降ってきました。さっきまで晴れていたのに・・・・
尾道ラーメンも食べられませんでした(涙)()

本州四国連絡橋を使って四国にわたります。
ここは尾道・今治ルートに入ろうとするところです。
ここまで新潟から4000㎞走りました。雨が降ってきて外気温は3℃です。


本州四国連絡橋(ここは通称「しまなみ海道」と言います)
尾道市の「西瀬戸尾道インター」から1時間以上かかったように思います。
愛媛県今治市に着きました。「今治インター」です。
初めて走る道路です。そして雨も降ってましたし夕刻になり写真を撮る余裕がありませんでした。
記憶だけがあります。瀬戸内海の色々な島をつないでいる高速道です。
途中の島の名前などで聞いたことがある。というところもありました。
この時も越後ojijiの頭の中では「瀬戸の花嫁」がヘビロテしていました。(笑)。


四国に着きました。越後ojijiは四国に来るのはこれで三度目です。
今治市に着きました。本州を背にして右に行けば四国の最大都市「松山市」です。
道後温泉があったり、夏目漱石の小説「坊ちゃん」にゆかりの色々な観光スポットが
あります。以前二度松山市は訪れているので今回は香川県のほうを目指しました。

今回越後ojijiが四国に来た目的は「讃岐うどん」を中心として「四国のうどん」を
食べまくりたい。。。という年寄りらしからぬ目的がありました。
四国全体で生活に沁み込んだ「うどん食文化」に触れることでした。
そしてまさに「年寄りらしからぬ」程のうどんを食べました(笑)。それは別に記録します。

香川県丸亀市を目指しました。
四国に入って最初に食べた「うどん」です。
この一杯はお腹がすいていたというのも理由の一つですが
そんなことは関係なく「おいしかった」(笑)(笑)(笑)


明日は「香川県」~「徳島県」~「高知県」の旅です。

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2024年03月11日

OJIJIの旅-13③


OJIJIの旅-13③
2023年12月16日(土)

作家「遠藤周作」をご存じだろうか?
越後ojijiの人生に大きな影響を与えてくれたカトリック作家です。
遠藤周作の作品の中に日本のキリシタン歴史小説があります。
遠藤周作は信長・秀吉の時代からキリスト教禁教とキリスト教弾圧をした
三代将軍「家光」の時代を中心に南蛮渡来の「基督教」を題材にした
各種歴史小説を書いています。
大好きな作家ですので一応全部を読みました。
偉そうに「読みました」といっても「読み流しました」というのが正しいでしょうか(笑)
その歴史小説のなかでも「沈黙」という作品は内容的に考えさせられるものが多く
繰り返し何度か読みました。
小説「沈黙」の舞台になっているのが現在の長崎県や佐賀県です。
せっかく長崎県にまで来たのでその「沈黙」の「聖地巡礼」をと思ったのです。

長崎市の「平和祈念公園」「浦上天主堂」と見学してから国道251号から島原半島を目指しました。

キリシタンの歴史探訪ということですのでここでの記事は時間が前後します。
まず「カトリック雲仙教会」です。
雲仙教会に着いたときは雨でこの地域全体が霞んでいました。
駐車場から教会までは坂道で、傘をさしてそこまで行くのはOJIJIにとって大変なことでした。
残念ながらここで写真を撮影して車の中で"いのり"の時を持ちました。


読者の皆さんはこの碑文を読んでもなんでもないことでしょう。
この教会が建っている場所は歴史上もっとも悲惨なキリスト教弾圧が行われた場所なのです。
キリスト教信仰を持っているというだけで筆舌に尽くしがたい拷問がここで行われました。
その内容は遠藤周作の小説「沈黙」に描かれています。
どんな拷問にあっても信仰を絶対に捨てなかった「聖人」がいたという記録もあります。


雨にくもる「カトリック雲仙教会」


時間が前後します。
キリシタン墓碑です。
キリスト教徒ということがわからないように墓を「縦型」にしてごまかした
ということです。この頃は「旦那寺」制度ができてキリスト教信者じゃない
ことを証明するために墓までも仏教的にして信者であることを隠したのです。
しかしキリスト教信仰を持った人々は形だけは仏教徒を装い隠れて信仰を守りました。
隠れて信仰を守り続けた人々を「隠れキリシタン」などどいう言い方もします。


随分と古いお墓です。


さて長崎市を後にしてほとんど「島原半島」を一周しました。
その途中に「キリシタン」に関する色々なものがありました。
キリシタン墓碑やキリシタンの歴史を語る施設などがありました。
車で走っていると目には入るのですが(案内看板や案内標識)なかなか全てを
網羅して見学することはできませんでした。それほどこの島原半島には
たくさんのキリシタン歴史関係の遺物や遺跡があるということです。
例えば標識でキリシタン関係の場所というところがありました。
車を回してみると、なんとただの原っぱだった。ということも何度かありました(笑)

島原半島を海岸沿いに走っていて「有馬キリシタン遺産記念館」に着きました。
見学しました。
「有馬キリシタン遺産記念館」はキリシタンの歴史や長崎のキリシタンに関する
歴史が一目でわかるように展示されています。


キリシタン弾圧の歴史を物語る「レリーフ」です。
弾圧と迫害を受けた信者たちは命がけで信仰を守ったのです。


「踏み絵」です。「踏み絵」もキリシタン史を語る上で逃れることができないものです。


「島原の乱」です。
日本の(長崎での)キリスト教の歴史は弾圧と反発そして迫害の歴史です。
天草四郎とともに戦う=祈る・・・・


天正遣欧使節に関する展示。


有馬キリシタン遺産記念館の内部
ここはキリシタンの歴史を時間を追って正確に展示しています。
全部を見ながら考えながら時間を過ごすと多分2~3日かかると思います。
それだけ詳しく正しく歴史解説をしているのです。
「キリシタンの迫害・拷問」「天草四郎のこと」「天正遣欧使節」のことなどは
遠藤周作作品に沢山出てきます。その作品のことを思い出しながら見学しました。
また遠藤周作はこの時代の女性に視点をあてた作品も多く書いています。
「細川ガラシャ」などを主にした殉教小説などもあります。


色々な学びがあった「有馬キリシタン遺産記念館」を後にしました。
この後にもキリシタンの歴史に関する場所はありました。

島原半島を回っていて温泉が噴き出でいるところに出会いました。
温かい蒸気が噴き出ているだけなのですがこの光景をみると
「雲仙地獄」を連想しました。
雲仙地獄と言われるくらいにとんでもない迫害と拷問があったのです。




島原湾沿いです。
海岸沿いに走っていると新潟では目にしたことが無い景色に数々出会います。


島原半島を出て国道で福岡県を目指しました。
ここまでで九州での色々なものを見る目的はほぼ達しました。
九州を出て本州に戻り次は四国に行くことが目標です。
しかし、せっかくここまで来たのですこし遠回りになっても
長崎県・佐賀県内をもうちょっと走ってみたいと思いました。
けど結局は走ったというだけでした。真夜中だったからです。

(左)佐世保市を目指したのは自衛隊の基地があるからです。
佐世保基地は国内有数の大きな基地です。夜でも煌々と照明をつけて
とても不思議な感覚を与えてくれるところです。しかし、地図だけを頼りに
走ったので結局佐世保市の目的地には着けませんでした(笑)
(右)佐賀県有田町を通って福岡県に出ました。
有田町は勿論「有田焼」の産地です。
もし昼間だったら「有田焼」に関しても見学したかったです(笑)


長崎での楽しみが「長崎ちゃんぽん」を食べることでした。
長崎県内での食事はほとんど「チャンポン」でした。
色々食べたのですが特にお気に入りだったのをここに載せます。
野菜たっぷりの「長崎ちゃんぽん」です。


別のお店のチャンポン


長崎で色々なチャンポンを食べましたがこれが一番チャンポンのイメージに合っていました。
白濁したスープと野菜そして蒲鉾や肉などの具材。
越後ojijiがリンガーハットなどで食べるチャンポンのイメージとほぼ一致していました。(笑)。


<閑話休題>どうでも良い話ですが(笑)
越後ojijiが『九州』で初めて食べたチャンポンはなんと「リンガーハット」でした。
それも20年くらい前の話です。リンガーハットは全国チェーンなので
わざわざ本場の九州で食べなくても新潟でも東京でもどこででも食べられます。
記憶がハッキリしているのですが・・
その時はとてもお腹がすいていたのです。目に飛び込んできた看板にあった
「チャンポン」という文字だけでたべたところが全国チェーンのお店でした(笑)

さて今回の長崎でのチャンポンですが、気になることがありました。
それは過去に食べたチャンポンに絶対入っていた「イカゲソ」が無かったのです。
最近イカ漁が不漁です。それにつられてゲソの供給も減っています。
そんなのが理由なのだと思いました。ちょっと悲しい・・・(笑)

九州での目的は大体達成できました。
繰り返し記しますが何の目的も無しにここまで来たのです。
事前に九州での目的は本州最南端に行くこと、そして平和について考えること。
九州らしいものを食べることでした。
このブログを読んでくださるとそのことがわかってもらえると思っている越後ojijiです。

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2024年03月10日

OJIJIの旅-13②


OJIJIの旅-13②
2023年12月16日(土)

『浦上天主堂』

長崎平和公園を後にして「カトリック浦上教会=浦上天主堂」を訪ねました。
この教会も以前訪れたことがあります。が極短時間でした。
今回は雨でしたが少し時間を使ってこの教会に関する学びの時間を持ちました。

「浦上天主堂」です。「天主堂」というのは中国式の言い方で「教会」のことです。
日本のキリスト教の歴史では「西洋」からの伝道が一般的ですが
日本語でのキリスト教用語では「中国語」に由来する言葉が多いです。
例えば「福音」という言葉やこの「天主堂」と言う言葉です。まだまだたくさんあります(笑)


浦上天主堂は長崎平和公園から見えるところにあります。
平和公園から撮影。


平和公園から撮影。
平和公園から至近距離にある。ということはこの教会も爆心地にあった。ということです。


カトリック浦上教会の歴史概要を記す掲示。


教会の入口です。
写真撮影できるのはここまでです。
聖なる祈りの場です。
教会内部の写真・動画撮影は禁止です。

教会の内部には誰でも入ることができます。
キリスト教会ですからいつでもオープンです(^o^)
雨ふりの土曜日でした。聖堂内には関係者しか誰もいませんでした。
越後ojijiは聖堂内に入り、しばし「祈りの時」をもちました。、。、。。。。


教会の入口脇に大切な記録があります。


キリスト教に興味関心の無い方にとってはどうでもよい事と思います(笑)
しかし、日本の歴史にとって大切な記録がここにあるのです。
幕末から明治初頭に長い間禁じられていたキリスト教の信者がいた。発見された。
というとんでもない事実があったのです。。


越後ojijiはこの事実。
杉本ゆりという若い農婦が「マリア様はどこ?」と神父様に尋ねたのがきっかけで
長い間日本で封印されていたキリスト教信仰の信者が見つかったということです。
越後ojijiはこのことを大好きな作家である「遠藤周作」の著書の中で知りました。
それを証明したのがこの青銅版に刻まれていることです。
今回浦上天主堂を訪ねたのは、このことを再確認したかった。と言ってもよいくらいです。


それでもさらに続くキリスト教排除と禁教。弾圧。その歴史的事実です。


教会を別角度から撮影しました。


教会を別角度から撮影しました。


カトリック浦上教会の「信徒会館」です。ここは原爆資料館でもあります。
カトリック浦上教会信徒会館・原爆遺物展示室。


内部です。


原爆で首が吹っ飛んだキリスト像。


こんな絵も展示されていました。おぞましいです。
写真はたくさん撮影しました。
このブログに載せていいのか?と思うほどの悲惨なものもありました。


色々見学して、祈りの時を持ち教会を後にしました。



長崎に来た目的はキリスト教の歴史に触れたいという思いでした。
長崎市を後にしてキリスト教迫害の歴史をまざまざと感じることができる
雲仙地獄を目指しました。

途中で出会った畑です。国道の脇に広がっていました。
多分畑なのだろうと思います。色が赤茶色なので火山灰土かなんかかな?
今まで見たことの無い景色です。
ふしぎに思いながら撮影しました。この時も強い雨でした。




雲仙に向かう海岸沿いです。天草灘です。


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2024年03月09日

弥彦山


春が待ち遠しい「弥彦山」です。

3月なのに今日は特別に寒い日です。
最高気温も5℃という予報です。
厚着してパソコンに向かっている越後ojijiです(笑)

車で移動しながら色々な角度で「弥彦山」を撮影しました。
場所が違っても被写体が大きいのであまり大きな違いが出ませんでしたが・・・









写真一枚ごとに撮影した場所と時間が違うので撮影者の越後ojijiには
全て違って見えています。(笑)

「弥彦山」の麓には「越後一宮弥彦神社」があります。
「弥彦神社」の主祭神は女の神様だそうです。
「弥彦神社」は昔から新潟県民に篤く信仰されている神社です。

昨日3月8日は国連が定めた「世界女性デー」でした。
女性の人権を守り、女性を大切にしましょう。という日です。
女性であろうが男性であろうが「人」を大切にすることは基本中の基本です。
それでも敢えて「女性」と入れているということは未だに女性への差別や偏見
さらに母性を大切にしない風潮なぞが世界にはびこっているからだと思います。
女性を差別したり、ないがしろにするのは男性でしょう(私はOJIJIですが反省)
それは紛れもなく男性の「驕り高ぶり」です。何故なら、遺伝子レベルでは
「オス」は「メス」の化けたものと考えられるからです。つまり主である「メス」が
存在していて「メス」の遺伝情報が変化して「オス」ができた、と考えられるのです。
子孫を確実に残すための生物の知恵そのものです。
ですから本来は「オス」は「メス」の従属物とかんがえても良いくらいだと思っています。
しかし、「オス」は愚かなので「メス」の戦略がわからずに「メス」を従属物だと
勘違いして歴史を作ってきました。その「悪歴史」に近代になって気が付いて
「世界女性デー」などと言って、さも女性を大切にしています。
などと宣言しなければならなかったのだと思っています。
いま、世界で女性が虐げられています。そうです戦争です。
何の罪もない女性や力の無い子供が戦争の被害にあっています。
子供達を戦禍から守ろうと自分の命を投げ出してまで頑張っているのは母親たちです。
元々この地球上の生物は「メス」からできています。もし「メス」ばかりだったら
決して無駄な争いなどはしなかったのではないでしょうか。

弥彦神社の主祭神様は「女神さま」
そして女性を大切にしようという「世界女性デー」
3月8日は「女性」というキーワードで物事を考えさせれる日でした。。。。

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2024年03月08日

OJIJIの旅-13①


OJIJIの旅-13①
2023年12月16日(土)

『長崎平和公園』

前日佐賀県の「吉野ヶ里遺跡公園」を見学して、佐賀県から長崎県を目指しました。
道に迷わないように長崎まで1本道である国道34号線を走りました。
長崎県での目的は「長崎原爆記念公園」を訪ねること。
多くの方には興味がないと思いますが、日本の「キリシタン」の歴史に触れること。
そして長崎ちゃんぽんを食べることです(^o^)

佐賀県を出たのが夕方だったので早めに宿をとり休みました。
夜中に「長崎ちゃんぽん」を食べるのですがそれは後で書きます。

12月16日(土)
9時30分に長崎平和公園に着きました。
「長崎は(今日も)雨だった」
そうなんです。この日の長崎市は雨でした。
平和公園に着いたのですが傘をさしての見学でした。
ここは過去に一度だけ来たことがあります。
その時はほんの数十分ここに滞在しただけでした。
長崎にまで来たぞ。という思いだけでゆっくりと見学することはありませんでした。
今回は「もう二度と九州に来ることは無いだろう」という思いで且つ時間もあったので
ゆっくり見学するつもりでした。が・・雨で思い通りにはなりませんでした。


平和公園のシンボルである「平和祈念像」です。


この像の裏側は初めて見ました。たくましい青年の姿がとても印象的です。


作者の「北村西望」の言葉です。重い言葉です。この時代の人にしか語れない言葉です。


色々な角度から撮影してみました。


別角度からの撮影。


別角度からの撮影。


雨の平和公園ですが傘をさして「祈っている方」がいました。


原子爆弾の熱射で焼けただれた人々。水を求めて・・・・
長崎の原子爆弾は広島の原爆の9倍の威力があるものだったと言われています。
広島・長崎と日本は日本人は原爆というとんでもない兵器で人体実験をされたのです。
「語るもおぞましい」というのはこういうことだと思います。
広島でも長崎でも何の罪もない市井の人々が理不尽な死を遂げた。
私たちはひとえにこの事実を理解して愚かな戦争などと言う行為を・・・
戦争などと言う行為を二度としないのだ。
してはいけないのだと後世に伝える義務があると思います。


平和の象徴のように見える「水」。平和の泉。



長崎原爆の爆心地には刑務所がありました。
この平和公園がそれです。そのことを静かにかたっている案内板。


未だに名前すらわからない方々も原爆でやられました。
理不尽です。今更、過去には戻れません。
私たちにできることは「戦争を絶対にしない国=日本」を作ることです。
永遠に・・・そうです永遠にです。
そのためには「努力して努力してさらに努力して平和」を作り出すことです。
安易に武装しても武力を近代兵器にアップグレードしても平和にはなりません。
自衛の為と「うそぶいて」武力を増そうとする政治勢力がありますが
そういう人々は越後ojijiのような人間を「平和ボケ」していると罵るでしょう。
OJIJIは罵られても世間から排除されても自分の子孫に「平和」を残したいのです。


バスでも着いたのでしょうか?
越後ojijiが平和公園を後にする頃には大勢の方々か平和記念像を見学していました。
また祈っていました。。。。


平和公園に着くまでに見た長崎らしい景色です。

長崎カステラの専門店のようです。
長崎カステラ大好きです。(^o^)。


坂の町長崎。そんな光景です。


この平和公園からカトリック浦上教会が見えます。
平和公園を後にして「浦上天主堂」に向かいました。

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2024年03月07日

今日の夕日‐2024年3月7日


2024年3月7日(木)

最近天候不順で新潟らしい夕日を見ることができませんでした。
今日も雲が厚く、あまりきれいでは無かったのですが
久しぶりに新潟らしい夕日を撮影しました。

角田山の右の方にに陽が沈んでいきました。


江南区の田んぼが広がるところで撮影しました。


もう少しきれいに映ると「嬉しい」のですが・・・・

それでも夕日に出会えたのは久しぶりでした。。、。、。

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2024年03月04日

OJIJIの旅-12③


OJIJIの旅-12③
2023年12月15日(金)
吉野ヶ里遺跡見学の続きです。

吉野ヶ里遺跡展示室というのがあってそこも見学しました。
発掘された遺物など色々と資料が展示されています。


「弥生人」を再現しています。発掘された遺骨などから「こんな顔だっただろう」
と復元・再現したものです。最近の科学力はすごいなぁと感心しました。


展示資料館の内部です。


展示資料館の内部です。


弥生式土器の例です。小さな普段使いの土器から「甕棺」に至るまで各種展示されています。


当時の埋葬の様子が再現されています。


これは昨年ニュースになりました。
遺跡から新しく見つけられたそうです。


こんなのが出てきて歴史的科学的分析をしたら「新発見」だったそうです。
まだまだ新しい発見がある吉野ヶ里遺跡です。
越後ojijiはそれを目の当たりにできたのは幸いでした。




吉野ヶ里遺跡展示室を後にして
お墓の展示部分に行ってみました。
この地域は当時の権力者たちを葬った特別なところです。


王などの特別な人達を埋葬する場所に行きつくまでに一般庶民も
こんな風に葬られていたのだ。という発掘資料に出会えます。
甕棺です。甕棺土葬です。


北墳丘墓というところに来ました。
ここには歴代の特別な支配者が葬られていたようです。


建物のようになっていますが、遺跡を保存するために屋根や壁で覆って
大切な歴史的遺物を守っているのです。


弥生時代です。
この時代でも死者を葬るという思いが強かったというのがよくわかる資料です。
勿論「仏教」などが伝来されていない前です。
死者に対する思いというのは「宗教」ではないことがよく理解できます。
生きていた人が死んで別のところに行ってしまう。
この不思議なことに対して人間はいつの世でも同じ思いで「死」と向き合っています。
そんなことを考えさせられる資料です。


こんな風に「永遠の眠り」についたのですね。


墳丘墓の内部です。


歴代の権力者のお墓の様子が保存されています。


随分と長い時間「吉野ヶ里遺跡」に滞在しました。
夕方になりました。約5時間滞在していました(笑)
多くのことを学ばせてもらい「吉野ヶ里遺跡」を後にしました。





佐賀県から長崎県を目指しました。

つづく。

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2024年03月03日

ひなまつり。


2024年3月3日(日)

ひな祭りです。

ひなまつりとは「ひいなまつり」です。
「ひいな」は幼い女の子のことです。
幼い女の子が健やかに成長するようにと願う行事です。
そして成長し、越後ojijiなどは「翁(おきな)」となり女性は「媼(おうな)」となります。
「ひいな」から「おうな」まで女性というのは男性にとっていつも神秘的な存在です。(笑)

今、越後ojijiの切実な願いです。
「世界中の子供達に平和な時が与えられて健やかに成長しますように。」

新潟では各地で「雛人形まつり」を行っています。
一番有名なのが村上市の「町屋の人形様巡り」です。
県内で「ひな人形まつり」を始めたさきがけではないでしょうか。
我が家にもひな人形があったのですが・・・・

※このひな人形の画像はイメージ画像です。

三月に入って寒い日が続きます。本日も朝には雪が積もっていました。
しかし、自然の力は恐ろしいものです。
空き地に「ヒメオドリコソウ」が花をつけていました。
小さな可憐な花が本日のひな祭りとマッチします(^o^)


それでもまだまだ冬枯れの新潟です。
こういう景色が大好きな越後ojijiです。


天候不順が続きます。寒い日が続きます。皆様ご自愛ください。

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Posted by 越後OYAJI at 14:37Comments(0)

2024年03月02日

OJIJIの旅-12②


OJIJIの旅-12②
2023年12月15日(金)

雄大な阿蘇山を見ることができずにちょっと寂しい思いをした越後ojijiです。
熊本県内の国道57号から国道325号そして国道3号線に出ました。
国道3号線でほぼ山の中と平地の繰り返しを進んで福岡県に入りました。
福岡県久留米市から国道34号で佐賀県に入りました。
国道34号線沿いの吉野ヶ里町に「吉野ヶ里遺跡公園」があります。
広大な敷地に弥生時代の遺跡が保存されています。
OJIJIはここを見学するのも旅の目的の一つにしていました。

吉野ヶ里遺跡です。
2024年12月15日(金) 13時10分に着きました。

遺跡ではマスコットキャラクターが迎えてくれました。


とにかく、広大な敷地に多数の歴史遺跡が保存されています。
弥生時代は今から2400年前から1700年前頃まで続いた時代です。
この遺跡は約1800年前頃の吉野ヶ里の様子を再現しています。
遺跡の様子を少しずつ紹介したいと思います。


吉野ヶ里遺跡のこんな写真を見たことがある人も多いと思います。


当時の様子を再現しています。


遺跡(ムラ)は全体的に「柵」で囲われています。防衛の為です。


「王の家」です。




内部展示されています。


当時の様子が再現されています。



ここは「王の妻」の家です。


「王」の家とほぼ同じ作りになっています(左)     「王の妻」が機織りをしています(右)


「大人(たいじん)」と言われる階級があったのだと思います。
「ムラ」や「クニ」を運営していく上での「役人」と思われます。
「大人(たいじん)の家」です。
この大人は「軍事や土木工事」を取り仕切っていた要人のようです。


王の家とほぼ同じ作りです(左)        内部が再現されています(右)


大人(たいじん)の妻の家です。
役職を持つ大人の妻も一軒家を持つだけ優遇されていたようです。
一般庶民は竪穴式住居で家族で雑魚寝だったのでしょうから・・ 


大人の妻が娘の髪をすいている様子が再現されています。
大人になると今でいう「セレブ」だったのでしよう。


弥生時代の住居を再現しています。これは「竪穴式住居」というのでしょうね。



別の「大人(たいじん)」の家です。外交をつかさどる大人の家です。


この「ムラ」または「クニ」以外の地から訪れた人と会談しています。


兵士の家です。


「ムラ長」との家です。ムラ(村)を統治する村長(むらおさ)の家です。


吉野ヶ里遺跡全体の様子


吉野ヶ里遺跡全体の様子


吉野ヶ里遺跡全体の様子


吉野ヶ里遺跡全体の様子


ここは謂わば「倉庫群」なのですが、この作りは「校倉造」を思わせる作り方です。


王の宮殿です。
特別なところです。特別な建物です。特別な作り方をしています。


王の宮殿です。
特別な処だということがよくわかる立派な建物です。


王の宮殿の内部の再現。


この時代の「政(まつりごと)」の最大の役割は
「農」をどうつかさどるかということにかかっていました。
つまり、何時?種まきをして、何時?刈り入れをすればよいのか・・・
それは「呪術」によって与えられていました。
「呪術」を行うの特別な女性がしていたと思われます。
その女性が「王」だったことも考えられます。
吉野ヶ里が「卑弥呼のクニ」と考えられている根拠の一つにもなっています。


種まきと刈り入れの日を知っている特別な人を「日知り」と言いました。
この「日知りの人」を「ひじり」と言い「聖」という言葉になったと言われています。


吉野ヶ里歴史公園内にある、「ヤマモモの巨木」です。
「ヤマモモ」は新潟では育たないとされています。
しかし、庭木として細々と栽培されています。新潟では見ることのできない「巨木」です。


吉野ヶ里遺跡の様子。


もう二度と来ることが無いと思って見学しました。
写真も沢山撮りました。その一部だけをここに載せました。

この他に資料館やお墓の跡などがありそれも資料館になっています。
次にそのことを報告します。

吉野ヶ里遺跡・吉野ヶ里遺跡公園に関する情報です。
興味のある方はご覧ください。

吉野ヶ里遺跡公園
https://www.yoshinogari.jp/

吉野ケ里遺跡Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1

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2024年03月02日

まさかの雪‐2024年3月2日(土)


朝起きたら雪が積もっていました。
せいぜい3センチ位の雪ですが眼前に広がると「降ったなぁ」と思ってしまいます。

新潟では三月の雪は珍しもなんでもありません。
しかし、今日から約1週間ぐずついて雪の日もある天気予報です。



暖かいのが好きなOJIJIです。

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Posted by 越後OYAJI at 12:53Comments(0)

2024年03月01日

弥生三月‐2024年3月1日(金)


2024年3月1日(金)

今日から3月です。
時間が過ぎるのは早いですね。
昨日は「うるう日」一日得したような気分でした。
が、今年も2か月が過ぎてしまいました。

「能登半島大地震」から丁度2か月が過ぎました。
あれだけ大きな災害ですから元に戻るまでには膨大な時間がかかることでしょう。
未だに辛い思いをしている方も多いと思います。
しかし、辛いことは時間が解決してくれます。
私達が持つべきは「希望」です。
そして「希望」は必ず叶えられます。
そう信じましょう。そう信じて毎日を過ごしましょう!!!!icon06icon06face02face02icon06icon06

三月は旧暦で「弥生」です。
「弥生」の語源は広辞苑によると「イヤオヒ」の転訛とされています。
草木の芽吹く「いやおい」「いやおひ」から「やよい」になったのだそうです。
「弥生」の別な言い方では「晩春 くれのはる」や「雛月 ひいなつき」などがあります。
「雛月」はなんとなくなじみがあります。3月3日は「ひなまつり」です。

弥生三月。
桜が待ち遠しい季節になりました。
現在の新潟市の桜の花芽です。
まだまだ固く、冬の寒さに耐えているという感じです。






桜の芽はまだ硬いですが、紅梅が奇麗に咲いています。


定点観察している近所の畑です。

ネコヤナギの穂がこんなになりました。
この木全体が白い穂(花)に覆われています。
毎年見ているのですが春が近いという季節を感じさせてくれるネコヤナギです。


梅の花がきれいに咲いています。白梅です。


この梅の花は初夏には青い梅の実になります。


白梅の木の下に「フキノトウ」があります。
寒さを乗り切ったぞう!!!! そんな力強さを感じます。


「ゆきやなぎ」です。芽から新葉へとドンドン成長しています。
春、真っ先に桜とともに花が咲きだします。


三月は卒業や別れもある月です。
それは新しい出会いへと続くものです。
「新しい出会い」それこそが「希望」へと続きます。(^o^)(^o^)\(^o^)/(^o^)(^o^)


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Posted by 越後OYAJI at 13:57Comments(0)

2024年02月29日

閏年の「うるう日」‐2024年2月29日(木)


2024年2月29日(木)

本日は4年に一度の閏年の「うるう日」です。
2月29日生まれの方々「お誕生日おめでとうございます!」(^o^)
4年に一度しかないお誕生日を盛大にお祝いしてください。
そんなことは無い、毎年お祝いしていますよね(笑)
閏年でなんか一日得したような気になっている越後ojijiです。
ま、私はOJIJIなので損得は関係ないのですが・・・・

今日、国会で「政治倫理審査会」という「セレモニー」が行われたそうです。
OJIJIがこういう皮肉を言うのは「はしたない」と思います。
真面目に国会運営をしている方々に失礼だからです。
あまりにも政治的なシナリオ通りにことが進んでいます。
「政治」でも「経済」でも我々一般庶民でも「金」に関して「正しい」などと言える人は
きっと誰もいないことでしょう。比較的金にきれいと言う程度の人がいるくらいでしょうか(笑)
そんな「金」に関わる「倫理」を審査しようとしても何も出てくるはずがありません。
今日も「まったく知らなかった」「私は関わっていなかった」
というお決まりフレーズが飛び交っていた。
明日も同じことのくりかえしでしょう。
政治倫理はお金ばかりでなくて、日ごろの政治的発言や政治姿勢、ハラスメントなど
多岐にわたります。金・金・金と政治と金を結び付けても何の進歩もないと思っています。

さて夕方になって嬉しいニュースが飛び込んできました。
大谷翔平選手が結婚したというニュースです。
29才のオオタニさんが結婚するのは当たり前のことで大リーグで活躍するのには
伴侶が必要なことは自明の理です。今まで浮いた噂を聞かなかったオオタニさんです。
きっと秘密にして大切に愛を育んだのだと想像しています。
伴侶がいれば今までとは何倍もの力を発揮してくれるもと期待しています。

今日の鳥屋野潟です。
昼頃に陽が差していたので自転車で鳥屋野潟を一周するつもりで出かけました。
ところが鳥屋野潟に着くころには重い雲がかかり、気温も下がってきました。
さらに一周しようとしたところ。
鳥屋野潟ではいたるところで工事をしていて通行止めになっていました。
それでも今日の鳥屋野潟を撮影しました。
 弁天橋の上から撮影しました。遠くに弥彦やまが見えます。


鴨が浮いています。


鳥屋野潟は大きいですね(^o^) 


紅梅が咲いていました。


一日得した気分のOJIJIです。
そういえば29日でした。「にくの日」です。
夕飯は「肉」をたべよう(^o^)

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2024年02月28日

今日‐2024年2月28日(水)


今日は一日中すっきりとしない曇り空の一日でした。

今年は「うるう年」なので明日2月29日もあります。
例年なら2月も今日で終わり・・・
となるのですが明日もあるということで中途半端な感じなのは越後ojijiだけでしょうね(^o^)

弥彦山です。
重い雲がかかって霞んでいました。




真っすぐな農道。新潟のこの景色が好きです(^o^)


白鳥がまだいました。
北へと帰って行った白鳥もいることでしょう。
国道8号線沿いなので「佐潟」とか「鳥屋野潟」とかで過ごした白鳥でしようか。


明日一日は4年ぶりに一日得したような日です。有効に使いたい一日です(笑)

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2024年02月27日

漆塗りのお椀


漆塗りのお椀(うるしぬりのおわん)

「漆(うるし)」という漢字を知っていましたか?
滅多に目にすることの無い漢字です。
書くのがとても難しい字ですね。

石川県輪島市の伝統的工芸品である「輪島塗」も今回の「能登半島地震」で
壊滅的な被害を受けたという報に接しとても心が痛みました。

輪島塗は堅牢で使いやすいのが特徴です。
日常的に漆器を使う料亭のようなところでは「輪島塗」を使う事が多いようです。
輪島塗の特徴としては製造工程がとても複雑で全て専門の職人さん達が担っているということです。
木地・木地を保護して堅牢にする為の布張り・漆ぬり・研ぎ出し・さらに漆塗り。蒔絵。等々
素人の越後ojijiには信じられないほどの複雑な工程をへて完成します。
それ故に超高価です。
料亭などで使う。一級品の吸い物椀などでも最低一個で五万円以上するそうでする

過去に取材して色々教えてもらったことがあります。
40年ほど昔の話ですが・・・
新潟市内のある料亭です。。
その料亭の漆器は全て「輪島塗」だそうです。
日常的に使う漆器でも当時(40年~50年前)の価格で
お椀一個が五万円から十万円だったそうです。
「はぁ~。。。高級料亭というところはそんなところにお金をつかっているのか・・・」
と感心したり、ビックリしたのを覚えています。
勿論、高級料亭ですから芸者さんも一流。利用するお客様も一流の方々ばかり
料理も最高の食材を使い一流の技術で調理されるので、それを盛る漆器も
最高級になるのでしょうね。
越後ojijiはそんな高級料理は食べたことがありません。
取材させてもらった記憶だけがあります。

この漆器のお椀は越後ojijiが趣味で集めて使っているお椀です。
勿論「輪島塗」などではありません。
が決して安物でもありません。(笑)
この漆器以外にも大量の各種漆器を持っています(笑)
好きなんですね(笑)




これは会津塗の「煮物椀」です。
「研ぎ出し手法」で紋様を鮮やかに浮き出しています。


蓋の表(右)        蓋の裏。金で牡丹でしょうか描かれています(左)


越後ojijiが初めて輪島市を訪れたのは2006年4月19日でした。
それが最初で最後です。
その日の「輪島朝市通り」です。
古い写真です。且つ良いデジカメを持っていなかったので画像が不鮮明です。
この時は輪島市には2時間位しか滞在しませんでした。
早朝です。午前7時頃の映像だと思います。
「朝市」が開催されている時間には「輪島漆器」のお店はまだ営業していませんでした。
でも古い漆器店で、ガラス越しに漆器を展示しているのを見物したりしました。
そういうところが数か所あった記憶があります。
輪島市で本物の輪島塗を間近で見ることはできませんでした。


輪島市の写真はこの一枚だけです。

輪島塗に関してこんなエピソードを聞いたことがあります。
田中角栄氏が内閣総理大臣になった時の話です。
田中氏は陣笠代議士だったころから新潟市を頻繁に訪れていたそうです。
当時の県知事や経済関係者と料亭で酒を飲み、国と県との橋渡し役として
活躍していたそうです。のちに「新潟蒲原政治」とか「新潟料亭政治」などと
揶揄されたのですが、当時はそれがとても大切な政治手法だったのでしょう。
この政治談議が展開された新潟の料亭は田中氏が若手代議士と言われた頃から
自民党の役職に就いたり、39歳で郵政大臣になったり、その後大蔵大臣に
なったりと、謂わば田中氏の政治家的成長を共にしてきた戦友的存在として自認していたようです。
内閣総理大臣に就任した時にその料亭はお祝いの品を贈りました。
普段から付き合いのある輪島市の「輪島塗業者」に依頼して、
田中家専用のお椀を贈りました。輪島塗のお椀50個だったそうです。
なんとその価格なのですが一個20万円のお椀だったそうです。
総額で1千万円です。新潟から初めて出た、内閣総理大臣です。
その方へのお祝いの気持ちを表すのは金額では無く
内閣総理大臣という立場にふさわしい贈り物でお祝いする。
昭和40年代の日本人・新潟人の心意気を表すエピソードだと思ったものです(^o^)

輪島塗が高級品であり日本の大切な文化の一翼を担っている
ということを皆様と共有したくてこの記事を書きました。

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Posted by 越後OYAJI at 21:26Comments(0)

2024年02月26日

OJIJIの旅-12①


OJIJIの旅-12①
2023年12月15日(金)

何の予定もなく、計画性も無い旅を続けている越後ojijiです(笑)
熊本城を後にして、そのまま佐賀県に行こうかと思いながら、突然頭に浮かんだのが
「阿蘇山」でした。活火山である「桜島」を見た後にここまで来たのだからやっぱり
「阿蘇山」もみたいよな・・ 阿蘇山も火山だし。
昔、九州に来た時に大分~福岡県久留米市まで九州を横断した経験があります。
その時に見た「阿蘇山」が強く印象に残っていました。
もう二度と九州に来ることは無いだろうから(年齢的に!!(◍>ᴗ<◍))時間もあることだし
夜中だったのですが「阿蘇山」の方向に向かいました。
勿論、地図と道路標識だけが頼りです。通ったことの無い道を真夜中に走りました。

「道の駅 阿蘇」というところに着き。そこで仮眠をとって朝を待ち、
雄大な阿蘇山に出会えると思っていました。

が・・・・

当日の朝の「阿蘇山」です。雲がかかって阿蘇山が良く見えませんでした。
阿蘇山はいくつかの山が集まった山々の総称でもあります。
メインの大きな山がありそこにへばりつくように山々があります。
富士山や桜島のような形ではありません。





道の駅阿蘇です。


道の駅阿蘇にある阿蘇山のジオラマです。
こんな風に雄大な「阿蘇山」に出会うつもりでした(笑)


初めて知りました。
クレヨンしんちゃんの母親「みさえさん」は熊本県出身という設定だったのですね。


雲がかかっていますが「阿蘇山」です。


「阿蘇山」


色々な角度から撮影「阿蘇山」


「阿蘇山」




雲が切れるかなと少しねばったのですが・・・

国道57号を熊本市方面に戻りました。
国道3号線に合流して佐賀県を目指しました。

朝早くから動いていました。
久しぶりにマックのモーニングセットを食べました。


最近見なくなりました。このマクドナルドの店で出会いました。
「マック君」と言うのでしょうか?、それとも「ドナルド君」?


国道3号線で福岡県久留米市に着きました。
久留米ラーメンを食べました。


久留米市を後にして国道を走ると佐賀県に入ります。
次の目的地は「吉野ケ里遺跡」です。

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