2016年08月29日

飛鳥Ⅱ


豪華客船飛鳥Ⅱが新潟港に入港していました。

8月25日~8月27日まで新潟の旅行会社が、北海道室蘭までの船旅を企画したのです。
「日本海クルーズ 北海道・室蘭3日間」という飛鳥Ⅱを使った船旅です。
27日(土)に新潟港に戻った飛鳥Ⅱを撮影しました。

とにかくでかい。大きい。びっくりするほど大きい。。。icon16icon16icon16icon16

飛鳥Ⅱのわかる限りのデータです。
全長 241m
幅  29.6m
総トン数 50142トン
速力   21ノット
デッキ層 8層
旅客定員 872人

今回のクルーズの利用料金は一室2名利用で
最高が48万円、最低が13万円だったそうです。豪華な船旅ですね。

飛鳥Ⅱの写真です。山の下埠頭に停泊。


前方からの姿


でかいです。高いです。




後ろからの姿


中央埠頭の側から撮影。




日本一の客船です。とても立派な姿でした。

越後OYAJIはこんなにでかい船を見たことがありませんでした。
大きな船と言えば「佐渡汽船」や「青函連絡船」でした。

先回新潟港に入港した「日本丸」を見たときも「でかいなぁ」と思いました。
それが今回は桁違いの大きさです。とにかく「びっくりポン」でした。

船旅をしたいとは思いません。きっと「船酔い」するだろうから。。。
豪華客船や高価クルーズに接してもも夢のない越後OYAJIですface10

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Posted by 越後OYAJI at 20:30Comments(2)

2016年08月29日

師匠と弟子[24時間マラソンで得た感動]


日本テレビ恒例の24時間テレビが27日28日の2日に亘って行われました。

愛は地球を救う。この言葉をキーワードとして毎年行われています。

今年の注目は落語家「林家たい平」が24時間、100.5キロメートルマラソンに挑戦したことでした。

24時間テレビは見ていませんでしたが、「笑点」を通じてこのマラソンを知っていたので
ゴール場面だけを夕飯を食べながら見ていました。

感動のゴールでした。
普段100㎞ものマラソンには縁の無い落語家が「思い」をもって挑戦した結果です。

それは二つありました。
一つは笑点という番組が50周年を迎え、さらなる発展・継続を願っての挑戦。
二つ目は師匠である「林家こん平」への思いでした。

新潟県小国町(現長岡市)出身の林家こん平は、天才落語家と言われた故林家三平の
一番弟子です。大人気の落語家でした。
しかし、10年ほど前から「難病」を患い、その難病と闘ってきました。
弟子として、たい平は常にこん平のそばに寄り添い、こん平のリハビリに付き添っていました。
今回、24時間マラソンを引き受けるに当たって、師匠が一日でも早く難病から快復し
再び高座にあげたいという思いと勇気を与えたい。ということで引き受けたそうです。

たい平は24時間かけて100.5kmを走り切りました。
日本武道館で待っていた師匠こん平と涙を流して抱き合い、喜ぶ姿は感動そのものでした。

落語家という師弟関係ばかりではなく、
お互いを尊敬できる人間関係がこういう姿で現れたのでしょう。

感動をもらいました。ありがとう。

※画像はインターネット上の画像を使っています。




先日NHKで林家三平に関する秘蔵映像が発見された。というニュースが報じられました。
天才・三平は当時発売されたばかりの家庭用ビデオで自分の出演した番組を録画していたそうです。
それが今回発見されました。今後整理すれば色々な落語とテレビに関する新発見が
あるかもしれません。
その秘蔵ビデオの中でこんな場面がありました。
司会者が「三平さん、お弟子さんは大勢いるでしょう?、皆さんの名前が言えますか?」
と問いかけたのです。三平は「えー、え~、沢山いますよ。まずこん平、次ぎに・・・」そして
最後には全ての弟子の名前が出てこず、「えー、え~、いっぱいいますよ」とオチをつけたのです。

当然一番弟子として最初に名前が出てきたのが「こん平」でした。

戦後、越後の国「小国」から米俵を担いで三平の門をたたいたというエピソードは有名です。
米を持ってくるような良い青年ならば、ということで弟子にしてもらったそうです。
若い頃は随分と痩せていて「狐」のようだったので「コンぺい=こん平」という名をもらったそうです。

越後OYAJIとこん平さんとの思い出です。
越後OYAJIが30代だった頃に当時人気抜群の林家こん平は良く新潟に来ていました。
テレビにも出ていましたし、色々な場面で新潟に呼ばれていたのでしょう。

ある日、越後OYAJIが行きつけのお寿司屋さんに入ったところ、テレビ局関係者と
こん平さんが食事をしていました。小さな寿司屋でカウンター席が7席ほど、
あとはテーブル席が3つほどある小さな寿司屋です。
たまたまカウンターで一緒に食事をしました。
テレビ局関係者の方をひとりおいて隣がこん平さんでした。
こん平さんはよほどお腹がすいていたと見えて、「トロ・うに・いくら・・・トロ・トロ」
などと注文。どんどん食べていました。
その元気な姿がまぶたに浮かんできます。勿論越後OYAJIは貧乏人なので「並寿司」でしたface10

2001年4月29日にビッグスワンの完成・オープニングイベントがありました。
新井満さんが総合プロデュースしたイベントです。
「新潟2001年宇宙の旅」と題したイベントは素晴らしいものでした。
その時の男性司会者が林家こん平でした。女性司会者が星野知子だったかな?
生で元気な林家こん平をみたのはそれが最後でした。
その後に難病に冒され、現在に至っています。

しかし、こん平にはたい平ばかりではなく多くの弟子がおり、素晴らしい師弟関係を築いています。
なによりの宝だと思います。
こん平師匠が人間として尊敬されるから師弟関係も「尊敬しあえる人間関係」になるのだと思います。

感動をありがとう。

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Posted by 越後OYAJI at 12:19Comments(2)