2018年09月30日

10年


2008年9月30日は火曜日だった。
本日は2018年9月30日日曜日。

あの日から丁度10年経った。
とても悲しい思いをした日だった。とても動揺していた。

2008年9月30日(火)午前2時を過ぎた頃だった。
あの人は心肺停止状態になった。
癌に冒され、末期にはとても苦しんだ。
周りの方々は最適な医療を施してくれた。
どんなに手をうっても来るべき時は来る。
まさにその時だった。最も近くにいた私はとても動揺した。慌てふためいた。。。。
しかし、時はしっかりと流れ、もう息をしないあの人は苦しみから解放されたかのようだった。

今日の午前2時を過ぎた頃に目が覚めた。
頭の中であのときの事を思い出していた。夢を見たのだろうか?。。。。
深夜である。そのまままた目をつむった。
頭の中で何か輝くものを感じた。明らかに通常感ずるものとは違う光だった。
眠い、眠いと思いながら、何かを語りかけられているような気がした。

地域を愛し、人を愛し、友を愛し、こどもを愛し、私を最も愛してくれた人。
欲が無く、粗食を旨とし、美術・芸術を好んだ。そんな人。
天国へと召された。

十字架をモチーフにしたステンドグラス




10年という時は長いようで短い時だった。
この10年の間にわたしは信じられないような色々なことに遭遇した。
不思議な体験をいくつもした。
あの人はいつも同伴者だった。
いつも私と同じ苦しみ・悲しみを共有してくれていたかのようだ。
あの人に課せられた使命を全うするために今でも同伴者して私と共にいる。
課せられた使命とは「天使としての役割」
あの人は天使だったのであろう。それゆえに天国へと帰ったのだと信じている。

人間が生きていくということは不思議なことだ。
自分が生きることで自分以外に関わった誰かに何らかの痕跡を残していく。
また自らもその何かの痕跡を受けている。気がつかないこともある。
良い意味の痕跡もあれば悪い意味の痕跡もある。
風が「ふ~っと」吹き抜けていくように私達の前を目に見えない何かが通り過ぎていく。
そんな時にあの人を天国へと召し上げた方を感じる。風は「聖霊」なのかもしれない。
あの人を召し上げて同伴者としていまでも私につきまとわせる方、
その方こそが真の私の同伴者であるが故にあの人が天使として存在する意味がある。
本日は日曜日。私の真の同伴者と向き合う日。
そして今日9月30日は思い出にひたり懐かしくあの人と共に時を過ごす日。

えちごおやじ 越後OYAJI 越後おやじ 越後親爺 エチゴオヤジ ECHIGO OYAJI  えちごOYAJI 




  

Posted by 越後OYAJI at 08:01Comments(0)