2018年10月29日

新蕎麦


今年も「新蕎麦」が届きました。

いたたぎものです。
北海道産の「新そば粉」に「ふのり」をつなぎにして作った「蕎麦」です。

のどごしが良く、香りも最高の新蕎麦ですicon06icon06\(^o^)/icon06icon06



(左)茹でる前の蕎麦です。            (右)茹であげて氷水で締めた新蕎麦です。


越後OYAJIの食卓です。


美味しいものを常に与えられる越後OYAJIはとても幸せ者です。

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2018年10月29日

新潟市長選挙 結果


2018年10月28日投票の新潟市長選挙の結果

篠田昭市長の退任と任期満了による新潟市長選挙が行われました。
結果は「中原八一氏」が新市長に選ばれました。

今回の市長選挙の記録

☆中原八一 98975票(得票率30.0%)当選

☆小柳聡   90902票(得票率27.6%)

☆吉田孝志 90539票(得票率27.4%)

☆飯野晋   49425票(得票率15.0%)

当日の新潟市の有権者数667907人
今回の投票率 49.83% 前回の投票率40.57%
今回は投票率アップで前回より9.26ポイント増

今回の市長選挙は4期16年市政を引っ張ってきた篠田昭氏の退任に伴うものだった。

立候補者4名の顔ぶれが決まった段階で中原氏の当選が当然の如く予想できたものだった。。。
過去の新潟の首長選挙での特徴として挙げられるのが「よそ者排除理論」なのだ。
つまり県知事選挙でも新潟市長選挙でも新潟市もしくは新潟県出身者しか当選できないのだ。
ましてや新潟高校出身者以外で新潟市長選挙が行われたのは初めてでないかと思われます?
4人の顔ぶれで中原氏と小柳氏だけが新潟市出身者です。
吉田氏は群馬県出身。高等学校も群馬県でした。
新潟大学で学ぶために新潟に来てその後新潟の方と結婚しても、新潟もんはそのような人を生粋の新潟人と認めないのです。つまりここには「よそもの排除の理論」が存在するのです。
飯野氏も同様です。ご本人は新潟とはなんの縁も無い方です。祖父は新潟の開業医であったとし、
父親は新潟出身といっても飯野氏は他県で生まれ育ち大学も早稲田です。
そういう意味では新潟的には首長選挙に出る資格さえ無いと言われてしまいます。
みごとに「よそもの排除理論」が働いています。北区長であったというキャリアが逆に「よそ者が新潟で何をやってるだ」と反発になって市長としての適格性を疑問視されてしまうのです。

そして中原氏と小柳氏です。どちらも新潟市出身者です。
中原氏は生まれ育った環境や政治的キャリア、年齢的にも好条件を揃えていました。
小柳氏は東大大学院卒の秀才として魅力や若さが売りでした。
しかし、この二人を比較したときにどちらを選ぶとなると・・・・・
小柳氏は若すぎると言う評価になってしまうのだと思います。
篠田氏によって作り出されたいろいろな行政的な難問を解決していくのには31歳は頼りなさ過ぎる。
というのが小柳氏に対する評価だと思われます。

マスコミなどは今回の市長選挙を自民党系と野党系の候補の闘い。といつもの構図を作って
あおり立てようとしたのですが、この選挙は与野党対決などではありませんでした。
候補が出そろった段階で吉田・飯野の両氏は排除され、小柳氏は若すぎる理論に負けて
中原氏の当選確実が見えていた、つまり何の争点もない穏やかな選挙だったのです。
興味を引いたのは投票率だけでした。
前回は極端に投票率が低く今回が約10ポイント投票率が上がったとしても
有権者の半数以上が投票していません。
つまり今回の選挙はその程度の選挙だったのだと思います。

マスコミがあおったような与野党対決型の選挙にならなかった要因は色々考えられます。
与党側は中原氏で一本化すれば良かったし
野党側は候補選択に色々な思惑が絡みすぎたのでしょう。
特に小柳氏を担ぎ出した方々の思惑です。
小柳氏の名前が出る前に本命とされた方がいたはずです。
その方が自分勝手な理屈で出馬を固辞されたということは充分考えられます。
自分の思惑を他人に悟られないように小柳氏を押し出して逃げたのだと思います。
その方は経済人なのか行政マンなのか政治家なのかは存じません。
当然、当選などできない小柳氏を担ぎ出して本人に負担をかけた関係者に猛省を促したいです。

さて、中原新新潟市長が誕生しました。
はたして新潟市はこれから大きく発展するのでしょうか?

篠田市政16年間は歴史に残る失敗市政でした。
これは政権交代をした民主党政権の失敗と「軌を一にする」ものです。

篠田さんが新潟市長になった2002年頃は長引く自民党保守政権への疲れから
何か新しいものを産みだそうという雰囲気が溢れている時期でした。
自民党に替わる政権を担える政治勢力として「市民目線」で「市民感覚」で政治を行う
そういう勢力の結集が急がれていた頃でした。「民主党にいがた」が結成されたり
民主党が参議院で勝ったり、県議会で民主党が議席を持ったりした頃で政治的には過去に
しがらみの無い、行政マンや政治家では無い一般的市民を市長に選ぼう。という雰囲気に
なっていました。そのなかで行われた市長選挙は篠田氏、前新潟市助役、
共産党候補で選挙がおこなわれました。
篠田氏は当時の新潟市民(旧新潟市)の支持を得て、
何か変えてくれる市長として期待され当選しました。

篠田氏の最大の功績を近隣市町村との合併をなし、政令市新潟を作ったことと言われますが
それは間違いです。篠田氏が当選する前に合併のことはほぼ決まっていました。
あとは最後の微調整をしただけで篠田氏の功績ではなく、前市長の長谷川氏の実績です。

篠田氏は独自色を出そうと懸命でした。行政には初めて関わった方です。
しかし、所謂市民活動家でした。新潟日報社員として色々と取材を重ね。
市民目線の行政とはこういうものだ。という理想と理念をもっていました。
さっそくその理想を行政にさせようとしました。市役所に民間の知恵を。。。ということで
民間人を採用したりその人に政策をまかせようとしたり色々と工夫しました。
そんなこんなで4年が過ぎ、2006年に再選されました。再選されて2年ほど経った頃から
篠田新潟市政は変わってきました。ここが面白いところなのです。
5年間色々と改革をしようとしてきた篠田氏だったのですが、結局なにも変わらなかったし
変えることが困難なのだと気がついたようです。
就任6年目頃から極端に篠田氏の姿勢が変わったのです。

つまり独自の篠田カラーというのはどこかに消えていき、
市役所の役人や国の官僚に取り込まれていったのです。篠田氏の政策は完全に市民の目線から
離れていったのです。当然です。篠田氏は自らが生き残るのには行政を実際に動かしている
大きな力に逆らっては生き残れない。と悟ったかのようでした。
そんなかんだで2期8年が過ぎまして、
最後の仕上げの3期目に入りました。この頃は完全に篠田カラーは失せていました。

そして最も市民との約束で大事な「公約」である3期12年で退任する。
というのを破って4期目の選挙に出ました。当選でした。
ここで悪いのは約束を破って選挙に出た方も悪いですし、それを認めた市民も悪いのです。
篠田氏4期の内に県知事は平山氏、泉田氏、米山氏、花積氏と交代しました。
新潟市民は安定を得たかわりに多くの財産を失いました。むしろ失ったものの方が大きかった。
篠田氏にはそういう感覚はないでしょうが、一般市民の目は厳しいものがあります。
2期8年もしくは3期10年(10年間市長を務めて途中退任し次ぎの人にまかせるという意味です)で
退いていれば歴史に名前が残る「名市長」なれたのが
権力に恋恋とした恥市長の烙印を押されたのです。とても残念です。
権力というのは恐ろしいものでその「座」だけが権力であり
それに座る人間は問題にされないのですから。
権力よりも「権威」もしくは「威厳」それが本質的に求められるものでしょう。

さて、新中原市長です。
中原市政になって何か変わると思いますか?

何も変わらないでしょう。
むしろ何も変えないことが新潟市民にとってよいことです。
中原氏は国会議員としての経験や花積知事との関係、さらに政権政党との関係などで
新潟市をより良くする。と言っていますが、きっとなにも変わらないでしょう。
行政というのはそんなに簡単に変えることができないからです。
変に大きく変えようとすると「革命」になってしまいます。
穏やかに静かに市政を運営してくれるのを市民は期待しているはずです。

中心市街地の再活性化などという奇跡はおきません。
BRTもいったん動いた以上廃止はできません。
芸術祭なども一部はそのままでしょう。
動いているものを止めるのにはものすごいエネルギーが必要です。
篠田氏のようにしなくても良いことをやっておかしく市政を混乱させるより
穏やかで静かな新潟市政を期待したいものです。

また中原氏には2期8年で仕事をしてもらいたい。8年~10年で結果を出せないくらいなら
あとはただダラダラし市長を続けることになるのでそういうことは勘弁してもらいたいものです。

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Posted by 越後OYAJI at 13:41Comments(0)