2019年05月21日

被災地は今・・・


東北に行ってきました。

2011年3月11日に起きた「東日本大震災」
大地震と大津波が東北地方を襲いました。

あれから8年が過ぎましたがあの大被害からの復興は道なかばです。

だんだんと震災後の状況を知らせるニュース等が減ってきている現状に憂慮を覚えます。

自ら現状視察をするしかないと思い東北まで行ってきました。

新潟から国道で仙台まで行きました。
その後太平洋沿いに海岸を関東方面に向かいました。
途中で国道6号線に合流して福島県内での原発被害の様子なども見てきました。

まだまだ何の手も入らずに当時のままになっているところが見受けられます。


大震災の翌年(2012年5月)にも被災地に行ってきました。
その時は立ち入り制限が激しく、なかなか本当の被災地の様子を見ることができませんでした。
ただ当時国道沿いを走っていると田んぼにひっくり返っている「自動車」を多く見ました。
津波で大被害を受けた住居などもたくさん見ました。
手を付けられず田んぼに転がっている住宅も多々ありました。。。。。
あれから8年経った今では田んぼは田んぼとしてよみがえっています。


防風林として植栽されていた木も被害を受けた後はそのままです。
新しく木を植えても成林になるまで途方もない時間がかかります。


元建物があったところは建物が津波で流されて、土台だけが剥きだしになって残っています。
こういう状況をみると切なくなります。。。。


海岸沿いではかさ上げ道路工事が続いています。


大津波で命を落とした人達の慰霊碑です。


海岸の護岸工事も進んでいます。
ところによっては「スーパー堤防」と呼ばれる大堤防工事も進んでいるようです。
この日の海は穏やかでした。
何故? あの日に大地震が起こり、海は「大津波」という牙を向いたのでしょう。
何度考えても、何度その時に戻って思いを尽くそうと、その「理不尽さ」が納得できません。
被災者は当然、私以上の思いがあることでしょう。


宮城県内から国道6号線で福島県内に入りました。
国道上でこの看板を何度も見ました。


東京電力福島第一原発の事故に伴う爪痕が各所に残っていました。
徐染土の中間保存施設にも何度も出会いました。
徐染などという非科学的なことをして「安心」させようとした「政治判断」での結果です。
この汚染土の最終処理場はいったいどこなのでしょう?
嘘をついて人々を安心させようとした政治の責任で解決できるのでしょうか?


このコンビニを写真撮影することはものすごく切ないことでした。
店内は地震、大津波、原発事故の日そのままなのです。
商品も店内もそのままなのです。販売用の新聞紙が目にとまりました。
雑誌、新聞コーナーに「その日の新聞」を売っていたのでしょう・・・
ここの関係者はとにかく避難しなければならない。
と言う思いで取る物も取らず、かたづけることもできずに避難したのでしょう。
8年たってもそのままです。
このコンビニがあった所は今でも基本的には「立ち入り禁止区域」です。
原発事故の結果の重大さを再認識させられました。


宮城県内、福島県内、茨城県内を通ってからまた内陸側に戻って、
福島県喜多方市まで戻りました。
大好きな喜多方ラーメンを食して新潟に戻りました。

全国的にも有名な「坂内食堂」のラーメンです。
数年ぶりに食べました。値段が上がっていました。このラーメン700円です。


新潟県内にもまだ自主避難している方が多くいます。
公共の利益の為に作った「原子力発電所」が実は人間にとって最悪な「悪魔の施設」だった。
その原発と大津波で人生が大きく変えられた人が沢山いるのです。
でも東北の人達は必死で元に戻ろうとしています。「力強い」です。「頑張っています」。
被災されながらも力強く生きている方々に敬意を表したいです。

そんなことを思いながら東北を後にしました。

えちごおやじ 越後OYAJI 越後おやじ 越後親爺 エチゴオヤジ ECHIGO OYAJI  えちごOYAJI 

  


Posted by 越後OYAJI at 14:34Comments(2)