2024年02月29日
閏年の「うるう日」‐2024年2月29日(木)
2024年2月29日(木)
本日は4年に一度の閏年の「うるう日」です。
2月29日生まれの方々「お誕生日おめでとうございます!」(^o^)
4年に一度しかないお誕生日を盛大にお祝いしてください。
⇈そんなことは無い、毎年お祝いしていますよね(笑)
閏年でなんか一日得したような気になっている越後ojijiです。
ま、私はOJIJIなので損得は関係ないのですが・・・・
今日、国会で「政治倫理審査会」という「セレモニー」が行われたそうです。
OJIJIがこういう皮肉を言うのは「はしたない」と思います。
真面目に国会運営をしている方々に失礼だからです。
あまりにも政治的なシナリオ通りにことが進んでいます。
「政治」でも「経済」でも我々一般庶民でも「金」に関して「正しい」などと言える人は
きっと誰もいないことでしょう。比較的金にきれいと言う程度の人がいるくらいでしょうか(笑)
そんな「金」に関わる「倫理」を審査しようとしても何も出てくるはずがありません。
今日も「まったく知らなかった」「私は関わっていなかった」
というお決まりフレーズが飛び交っていた。
明日も同じことのくりかえしでしょう。
政治倫理はお金ばかりでなくて、日ごろの政治的発言や政治姿勢、ハラスメントなど
多岐にわたります。金・金・金と政治と金を結び付けても何の進歩もないと思っています。
さて夕方になって嬉しいニュースが飛び込んできました。
大谷翔平選手が結婚したというニュースです。
29才のオオタニさんが結婚するのは当たり前のことで大リーグで活躍するのには
伴侶が必要なことは自明の理です。今まで浮いた噂を聞かなかったオオタニさんです。
きっと秘密にして大切に愛を育んだのだと想像しています。
伴侶がいれば今までとは何倍もの力を発揮してくれるもと期待しています。
今日の鳥屋野潟です。
昼頃に陽が差していたので自転車で鳥屋野潟を一周するつもりで出かけました。
ところが鳥屋野潟に着くころには重い雲がかかり、気温も下がってきました。
さらに一周しようとしたところ。
鳥屋野潟ではいたるところで工事をしていて通行止めになっていました。
それでも今日の鳥屋野潟を撮影しました。
弁天橋の上から撮影しました。遠くに弥彦やまが見えます。
鴨が浮いています。
鳥屋野潟は大きいですね(^o^)
紅梅が咲いていました。
一日得した気分のOJIJIです。
そういえば29日でした。「にくの日」です。
夕飯は「肉」をたべよう(^o^)
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2024年02月28日
今日‐2024年2月28日(水)
今日は一日中すっきりとしない曇り空の一日でした。
今年は「うるう年」なので明日2月29日もあります。
例年なら2月も今日で終わり・・・
となるのですが明日もあるということで中途半端な感じなのは越後ojijiだけでしょうね(^o^)
弥彦山です。
重い雲がかかって霞んでいました。
真っすぐな農道。新潟のこの景色が好きです(^o^)
白鳥がまだいました。
北へと帰って行った白鳥もいることでしょう。
国道8号線沿いなので「佐潟」とか「鳥屋野潟」とかで過ごした白鳥でしようか。
明日一日は4年ぶりに一日得したような日です。有効に使いたい一日です(笑)
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2024年02月27日
漆塗りのお椀
漆塗りのお椀(うるしぬりのおわん)
「漆(うるし)」という漢字を知っていましたか?
滅多に目にすることの無い漢字です。
書くのがとても難しい字ですね。
石川県輪島市の伝統的工芸品である「輪島塗」も今回の「能登半島地震」で
壊滅的な被害を受けたという報に接しとても心が痛みました。
輪島塗は堅牢で使いやすいのが特徴です。
日常的に漆器を使う料亭のようなところでは「輪島塗」を使う事が多いようです。
輪島塗の特徴としては製造工程がとても複雑で全て専門の職人さん達が担っているということです。
木地・木地を保護して堅牢にする為の布張り・漆ぬり・研ぎ出し・さらに漆塗り。蒔絵。等々
素人の越後ojijiには信じられないほどの複雑な工程をへて完成します。
それ故に超高価です。
料亭などで使う。一級品の吸い物椀などでも最低一個で五万円以上するそうでする
過去に取材して色々教えてもらったことがあります。
40年ほど昔の話ですが・・・
新潟市内のある料亭です。。
その料亭の漆器は全て「輪島塗」だそうです。
日常的に使う漆器でも当時(40年~50年前)の価格で
お椀一個が五万円から十万円だったそうです。
「はぁ~。。。高級料亭というところはそんなところにお金をつかっているのか・・・」
と感心したり、ビックリしたのを覚えています。
勿論、高級料亭ですから芸者さんも一流。利用するお客様も一流の方々ばかり
料理も最高の食材を使い一流の技術で調理されるので、それを盛る漆器も
最高級になるのでしょうね。
越後ojijiはそんな高級料理は食べたことがありません。
取材させてもらった記憶だけがあります。
この漆器のお椀は越後ojijiが趣味で集めて使っているお椀です。
勿論「輪島塗」などではありません。
が決して安物でもありません。(笑)
この漆器以外にも大量の各種漆器を持っています(笑)
好きなんですね(笑)
これは会津塗の「煮物椀」です。
「研ぎ出し手法」で紋様を鮮やかに浮き出しています。
蓋の表(右) 蓋の裏。金で牡丹でしょうか描かれています(左)
越後ojijiが初めて輪島市を訪れたのは2006年4月19日でした。
それが最初で最後です。
その日の「輪島朝市通り」です。
古い写真です。且つ良いデジカメを持っていなかったので画像が不鮮明です。
この時は輪島市には2時間位しか滞在しませんでした。
早朝です。午前7時頃の映像だと思います。
「朝市」が開催されている時間には「輪島漆器」のお店はまだ営業していませんでした。
でも古い漆器店で、ガラス越しに漆器を展示しているのを見物したりしました。
そういうところが数か所あった記憶があります。
輪島市で本物の輪島塗を間近で見ることはできませんでした。
輪島市の写真はこの一枚だけです。
輪島塗に関してこんなエピソードを聞いたことがあります。
田中角栄氏が内閣総理大臣になった時の話です。
田中氏は陣笠代議士だったころから新潟市を頻繁に訪れていたそうです。
当時の県知事や経済関係者と料亭で酒を飲み、国と県との橋渡し役として
活躍していたそうです。のちに「新潟蒲原政治」とか「新潟料亭政治」などと
揶揄されたのですが、当時はそれがとても大切な政治手法だったのでしょう。
この政治談議が展開された新潟の料亭は田中氏が若手代議士と言われた頃から
自民党の役職に就いたり、39歳で郵政大臣になったり、その後大蔵大臣に
なったりと、謂わば田中氏の政治家的成長を共にしてきた戦友的存在として自認していたようです。
内閣総理大臣に就任した時にその料亭はお祝いの品を贈りました。
普段から付き合いのある輪島市の「輪島塗業者」に依頼して、
田中家専用のお椀を贈りました。輪島塗のお椀50個だったそうです。
なんとその価格なのですが一個20万円のお椀だったそうです。
総額で1千万円です。新潟から初めて出た、内閣総理大臣です。
その方へのお祝いの気持ちを表すのは金額では無く
内閣総理大臣という立場にふさわしい贈り物でお祝いする。
昭和40年代の日本人・新潟人の心意気を表すエピソードだと思ったものです(^o^)
輪島塗が高級品であり日本の大切な文化の一翼を担っている
ということを皆様と共有したくてこの記事を書きました。
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21:26
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2024年02月26日
OJIJIの旅-12①
OJIJIの旅-12①
2023年12月15日(金)
何の予定もなく、計画性も無い旅を続けている越後ojijiです(笑)
熊本城を後にして、そのまま佐賀県に行こうかと思いながら、突然頭に浮かんだのが
「阿蘇山」でした。活火山である「桜島」を見た後にここまで来たのだからやっぱり
「阿蘇山」もみたいよな・・ 阿蘇山も火山だし。
昔、九州に来た時に大分~福岡県久留米市まで九州を横断した経験があります。
その時に見た「阿蘇山」が強く印象に残っていました。
もう二度と九州に来ることは無いだろうから(年齢的に!!(◍>ᴗ<◍))時間もあることだし
夜中だったのですが「阿蘇山」の方向に向かいました。
勿論、地図と道路標識だけが頼りです。通ったことの無い道を真夜中に走りました。
「道の駅 阿蘇」というところに着き。そこで仮眠をとって朝を待ち、
雄大な阿蘇山に出会えると思っていました。
が・・・・
当日の朝の「阿蘇山」です。雲がかかって阿蘇山が良く見えませんでした。
阿蘇山はいくつかの山が集まった山々の総称でもあります。
メインの大きな山がありそこにへばりつくように山々があります。
富士山や桜島のような形ではありません。
道の駅阿蘇です。
道の駅阿蘇にある阿蘇山のジオラマです。
こんな風に雄大な「阿蘇山」に出会うつもりでした(笑)
初めて知りました。
クレヨンしんちゃんの母親「みさえさん」は熊本県出身という設定だったのですね。
雲がかかっていますが「阿蘇山」です。
「阿蘇山」
色々な角度から撮影「阿蘇山」
「阿蘇山」
雲が切れるかなと少しねばったのですが・・・
国道57号を熊本市方面に戻りました。
国道3号線に合流して佐賀県を目指しました。
朝早くから動いていました。
久しぶりにマックのモーニングセットを食べました。
最近見なくなりました。このマクドナルドの店で出会いました。
「マック君」と言うのでしょうか?、それとも「ドナルド君」?
国道3号線で福岡県久留米市に着きました。
久留米ラーメンを食べました。
久留米市を後にして国道を走ると佐賀県に入ります。
次の目的地は「吉野ケ里遺跡」です。
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2024年02月25日
藤五郎梅の花
新潟市江南区亀田の特産品「藤五郎梅」の花が咲きだしました。
先日、亀田を通っていたら街中(まちなか)の梅園の花が少し咲いていました。
また大量の蕾が今か今かと花を開く準備をしていました。
まだ咲き始めです。
3月になると亀田では梅の花を愛でる「梅まつり」が開催されます。
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19:03
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2024年02月24日
OJIJIの旅-11③
越後ojijiの旅-11③
2023年12月14日(木)
熊本城に着きました。
熊本城に到着した時は既に日没でした。
ライトアップされた美しい「熊本城」を写真におさめました。
水俣市から熊本市までの途中記録はこの熊本城の話の後に書きます。
ライトアップされて「威容を誇る『熊本城』です。
熊本城を築城した「加藤清正」公の銅像です。
熊本城は2016年4月16日の「熊本地震」で大被害に遭いました。
あれだけ堅牢であったお城が崩れたのです。
震度7というのは強烈な破壊力です。
熊本城は日本国の大切な観光資源です。
行政はこの大地震にひるむことなく、すぐに「熊本城再建」を決めて
現在も大工事が続いています。
熊本城の周りは公園になっています。夜間にこの公園部分から
慣れない夜間撮影をした写真です。公園の木が写り込んでいたり
工事中の様子なども写っています。こんな機会は二度とないと思い
沢山の写真を撮りました。しかし、ピンボケも多く、ここにアップしたのは
程度の良い写真なのです(笑)(笑)(笑)
前後しますが熊本市につくまでの様子です。
国道3号線を「八代海」沿いに走りました。
九州には歴史的に古い色々な伝説等があります。
海沿いを走っていても随所でそんなところに出会いました。
穏やかな八代海です。
ハイビスカスが美しく咲いています。
ハイビスカスと言えば沖縄が連想されますが、このように美しく咲いていました。
やっぱり、九州だなぁ~。
熊本市(熊本城)に着く途中で「大好きな焼肉バイキング」のお店に出会いました。
こんな店があるのか。絶対に食べていかねば(笑) と思い食事をしました。
後で調べたのですがこのお店は九州にだけある店でした。
現在4店舗チェーン展開しているようです。
いつも焼肉食べ放題の「スタミナ太郎」を利用しているOJIJIは「似ている」と思い
感激しながら美味しいバイキング料理をいただきました。(笑)
計画性の全くない旅です。食事も目に入る食堂等で済ましていました。
バイキング形式の食事は多少とも栄養に配慮した食事ができます。
野菜等は多く食べられます。
♪♫焼肉、焼肉、食べ放~題♬♪ そんな歌を思い出していました。
ランチ営業なので1時間限定なのですが沢山食べました。
熊本城に着くまで3000㌔走りました。
熊本城に着いたときに示された距離です。
新潟から3000㌔走ったのです。
12月14日の夜です。外気温が16℃を指していました。
真冬の九州は暖かだったです。
熊本城を後にして「阿蘇山」を目指しました。
明日は「阿蘇山」を見たいとおもって夜中に走りました。
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2024年02月23日
山の下海浜公園
本日は「天皇誕生日」の祝日です。
昭和世代の越後ojijiは天皇誕生日といえば「4月29日」のことだとずっーと思っていました。
そして4月29日は祝日で学校がお休みでした。
越後ojijiが生まれたときから天皇陛下は「昭和天皇」でした。
平成の御代になり現上皇様が天皇であった時の天皇誕生日は12月23日。
そして今上天皇の誕生日は本日2月23日です。
今日、皇居で天皇陛下のお誕生日をお祝いする「一般参賀」が行われたそうです。
「一般参賀」と言えば新年の一般参賀が皇室と国民とを結ぶ大切な行事です。
しかし、今年は「能登半島大地震」が1月1日に起こり、翌日からの一般参賀は
中止になりました。陛下ご夫妻も上皇ご夫妻も秋篠宮ご一家も地震の被災者に
心を痛めていたということでした。本日の陛下のお言葉に地震被害者への
思いが込められていて、感動・感激した方々が多いことでしょう。
日本の皇室は憲法で定められた国民にとって大切な存在です。
まだまだお若い陛下ですが、皇后さまとともに健康な一年を過ごされるように
お誕生日をお祝いしたいと思います。
先日、天気の良い日に東区にある「山の下海浜公園」に行ってきました。
好天でしたが海は荒れていて高い波が見えました。
真夏になるとここは海水浴場でもあります。
新日本海フェリーが通っていきました。ここは信濃川河口です。
遠くに新潟港内の安全を守る「赤い灯台」が見えます。
山の下海浜公園は新潟空港の隣です。
飛行機が飛び立っていきました。
公園は砂で覆われていました。
今回の地震でそうなったのか、それとも海からの砂が陸地に打ち寄せたのか?
いずれにしてもこのままでは「公園」としての機能を発揮できない状況でした。
砂の様子を写真に撮ったのですが、うまく砂に埋まっている状況を伝えるような
写真になっていません。それで画像はなし(◍>ᴗ<◍)
新潟海岸はずっと長く続く「砂丘地」です。
砂との闘いも新潟で生活する上でのキーポイントです。
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2024年02月22日
OJIJIの旅-11②
越後ojijiの旅-11②
2023年12月14日(木)
水俣病について考える。
『水俣メモリアル』
水俣病被害と人の命をイメージしたオブジェです。
鹿児島県出水市と熊本県水俣市は隣接しています。
この標識の裏には鹿児島県出水市と書かれています。
国道3号線を走っているとミカン畑がいたるところにありました。
暖かい九州・四国はミカン栽培が盛んなんだと実感しました。
これは「夏みかん」です。
これは普通の「温州みかん」です。
水俣病を学ぶ資料館は「まなびの丘」というところにあります。
ここは水俣市のエコパーク水俣(水俣広域公園)という広大な公園に隣接しています。
国道3号線からすぐのところです。
水俣病資料館に着きました。
修学旅行でしょうか? おおくの子供達が見学に来ていました。
子供たちにとって大切な学習の場です。
『水俣病』という病気は他人ごとではありません。
読者の方々は「第二水俣病」という言葉を知っていますか?
「第二水俣病」というのは『新潟水俣病』のことです。
熊本県水俣で起こった大変な公害病が実は新潟でも起こっていたのです。
熊本・新潟の水俣病の原因・結果・その後などを書きだすとこのブログが終わりません。
過去のこととして終わっているのかもしれません。
でもいつまでも私達は考えなくてはならないテーマです。
以下を参考にしてください。
※熊本水俣病については
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85
https://medicalnote.jp/diseases/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85?utm_campaign=%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85&utm_medium=ydd&utm_source=yahoo
※新潟水俣病については
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85
https://www.humanservices.jp/wp/wp-content/uploads/magazine/vol50/49.pdf
↑ウィキペディアは必ずしも正しい情報を記載していません。
鵜呑みにしないで必ず検証をお願いします。by 越後oyaji
資料館の内部です。
水俣湾がメチル水銀で汚染され、食物連鎖で人間にまで害を及ぼした病気。
病気の原因とされたのが「有機水銀汚染の魚」でした。
現在は水俣湾は安全な海になっています。
タレントで水産学者の「さかなクン」からのメッセージもありました。
現在の水俣湾(八代海)です。過去にあんな大公害があり多くの人が亡くなり、
現在も多くの方々が苦しんでいる公害病の「場」となったところです。
そんな過去を微塵も感じさせないほどに「清浄化」され安全になっています。
水俣湾(八代海)は穏やかでした。
八代海(水俣湾)の名の通り水俣市の北に「八代市」があります。
「八代市」出身の大歌手「八代亜紀」さんの出身地です。
OJIJIが旅行を終えた後の12月30日に逝去なさいました。
この地域を車で走っている時に「八代亜紀」さんのことが
頭に浮かんでいたのを覚えています。がその後にお亡くなりになるとは・・・
水俣市を後にして熊本市を目指しました。
途中で食べた「熊本ラーメン」です。
「マー油」という独特の「油」を入れるのが特徴だそうです。
水俣病に関しては書くのも辛いです。
それは「広島平和公園」「鹿屋の特攻基地」の記事を書いたときと同じです。
でもそこまで行って良かった。命を考える色々な示唆を与えられた。
そう思っている越後ojijiです。
新潟水俣病に関してはいずれ書かなければならない時がくると思っています。
新潟水俣病を見つけた新潟大学のT教授ご夫妻とは医学と別の関係で親しくしていただきました。
また越後ojijiの関係者は阿賀野川沿いの自治体で医療関係に従事していました。
勿論、新潟水俣病と関わっていたはずです。
命について考えるときに「公害病」や「戦争」など
あってはならない事実と向き合わなければならない時は
本当に本当に辛いです。
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2024年02月21日
白山神社の「梅の花」
白山神社の「梅の花」が満開です。
毎年白山神社の「梅」は話題になります。
この梅の木は花を愛でる「梅の木」です。
梅には梅の実を取るための木もあります。
今後亀田なので咲く藤五郎梅の花などは実を取るための花です。
『白梅』
『紅梅』
白山神社本殿
白山公園の池に架かっている橋 色鮮やかです。
久しぶりに「白山神社」に行ってきました。
神社の境内でもある白山公園には昔、日本猿が飼育されていました。
今回そこを見てみるとお猿さんはいませんでした。
数年前に死んだのだそうです。残念。
ただ飼育舎だけがそのまま残っていました。新潟市が管理していたのだそうです。
撤去するのにも税金でやることになります。
厳しい新潟市の財政の中でこんな小さなことも放っておかれるのですね(>_<)(;´・ω・)
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2024年02月19日
満願寺稲架木並木(まんがんじ はさぎ なみき)
新潟市秋葉区満願寺地区の満願寺稲架木並木(まんがんじ はさぎ なみき)です。
稲架木(はさぎ)とは
稲架場に「たも木」や「ハンノキ」を植えて、稲の乾燥に利用する新潟県特有のもの。
かつては新潟県特有の農村風景としてよく見かけましたものだが
農業の機械化が進み、籾(もみ)の機械乾燥が広く普及して
県内各地の稲架場が次々と姿を消していった。←という説明がネット上にありました。(笑)
満願寺稲架木並木です。
新潟市の文化財に指定されています。
新潟市の「稲架木並木」として有名なのが旧岩室村の「夏井の稲架木」と
旧中之口村の「門田稲架並木」があります。
四季折々に違った表情を見せ、新潟市の大切な観光スポットになっています。
プロ・アマを問わずこの「稲架木」並木を被写体として四季の変化を写真に撮り収めています。
今年は少雪でこの時期に新潟市には雪がありません。雪と稲架木並木の光景も
写真の素材としては最高です。
これからは新緑の季節になっていきます。稲架木にも緑の葉がよみがえります。
そんな景色も楽しみです。
満願寺稲架木並木を撮影した日はとても良い天気でしたが
寒い日でした。大好きなラーメンをを食べて帰宅しました。
野菜醤油タンメンです。
新潟市には他県に自慢できる観光資源が無数にあります。
ただいつも見慣れている景色なのでそれが宝であることになかなか気が付かないようです(笑)
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Posted by 越後OYAJI at
17:46
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2024年02月18日
OJIJIの旅-11①
OJIJIの旅-11①
2023年12月14日(木)
昨日桜島の夕やけに魅了されて大満足でした。
本日も早朝から旅を続けている越後ojijiです。
道に迷わないよう注意して運転しました。
OJIJIにも分かりやすい国道3号線を走り熊本県を目指しました。
ここはまだ鹿児島県内です。
鹿児島県出水市に着いて「鶴」に出会いました。
出水市は鶴の飛来地として有名で毎年1万羽~2万羽ほどの鶴が飛来して越冬するそうです。
いつものことで計画的に行動しているのではないので、国道沿いの案内板で「出水市の鶴飛来地」
と言うことを知り、その場所に行きました。
出水市が鶴の飛来地であり、越冬地であることの知識はありました。
でも越後ojijiは本物の鶴を見たのは生まれて初めてです。
出水市で出会った「鶴」です。
出水市に着くまでに国道3号線で海沿いを走りました。
天草灘です。この海は「東シナ海」です。
南国らしい景色にずっと魅せられている越後ojijiです(笑)
途中で「卵の自販機」がありました。
OJIJIは初めて「卵の自販機」を見ました。
こういうのもあるのだなぁと感心して写真をパチリ(笑)
沢山の「鶴」がいました。
出水市ツル観察センターです。
この越冬地を中心に色々なところで「ツルのオブジェ」を見ました。
おびただしい数の鶴です。
ツルの姿は端麗です。
早朝にも拘わらず大勢の鶴観察者と鶴を撮影するカメラマンがいました。
この鶴の飛来地を後にするときに車の消毒をされました。
鳥インフルエンザ予防の対策だそうです。
水仙です。
花のつぼみです。この日は12月14日です。真冬です。
新潟で水仙の花が咲き出すのは早くて3月後半、四月です。
新潟と九州ではこんなに気候が違って植物の咲き方にも違いがあるのだと
改めておもったものです。
出水市を後にしました。
朝早くから活動していたのでモーニングコーヒーと思い「コメダコーヒー」に入りました。
コーヒーを注文するとモーニングセットとしてパンがついていました。
何となく得をした気分でした。(笑)
コメダ珈琲は越後ojijiの自宅の近くにあります。が利用したことはありせんでした。
旅に出ると馴染みの看板があると安心して利用できるような気がしています。
いよいよ熊本県です。
鶴とか白鳥とか大型の鳥類を「おおとり」というそうです。
この時越後ojijiは
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
という中国の古典「史記」出てくる言葉をおもいだしていました。
「燕雀」というのはツバメやスズメのことで小鳥であり人間に例えると「小物の人格」のことです。
「鴻鵠」とはツバメやスズメとは比べものにならない大鳥で人間に例えると「大人物」のことです。
大物になる人間は高い志をもっているのであり、小物の人間にはその志の本当の意味など
分かるはずがない。ということです。
越後ojijiは「燕雀」であり私に人生を教えて下さった多くの先輩はまさに「鴻鵠」でした。
大人物の本当の姿を真実の目で見ることができずいつまでたっても「燕雀」である
自分を恥じ入ったのです。(笑)
そんなことを考えながら車を運転していました。
出水市からほどなく熊本県に入り
熊本県水俣市に着きました。
つづく。
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2024年02月17日
白鳥の瓢湖
水原の瓢湖(現阿賀野市)に行って「白鳥」を見てきました。
久しぶりに瓢湖に行きました。3年~4年ぶりだったと思います。
多くの人が白鳥見物に来ていました。
外国からの見物客もいました。外国語が飛び交っていました。
瓢湖です。
沢山の見物客で賑わっていました。
瓢湖に浮かぶ白鳥。
瓢湖には白鳥と共に多くの鴨もいます。
白鳥の羽の黒いのはまだ幼鳥です。
五頭連邦と瓢湖の白鳥
白鳥が飛んでる様子を撮影したくて瓢湖に行きました。
なかなか思い通りに撮影ができませんでした。
50枚以上撮影してブログにアップできそうと思ったのが以下の二枚です(笑)
飛んでいる鳥を撮影するのは難しいです。
撮影していると突然雨が降り出しました。
天気予報は晴れだったのに・・と恨み言を口にしながら車に避難(笑)
気温も急に下がってきたので暖かいラーメンを食べて帰宅しました。
ある食堂の「チャーシュー麵」です。
瓢湖は江戸時代に造成された農業用水池です。
今でも農業用水ですし新潟県の大切な観光資源です。
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09:25
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2024年02月16日
松浜橋
新潟市北区松浜にある「あかしあ公園」から
冬の松浜橋、新潟空港、東区の街などを撮影しました。
「あかしあ公園」は東区から松浜橋を渡った小高いところにある展望台です。
すぐ眼下は「松浜小学校」です。
天気の良い日に「あかしあ公園」に行ってきました。
松浜橋です。アーチがきれいです。
阿賀野川は穏やかです。
北区から東区を撮影。
北越製紙の煙突からの煙(水蒸気)が印象的です。
新潟空港方面。赤いのは滑走路の誘導灯(誘導路)です。
飛行機の離発着があるかと期待していたのですが越後ojijiが撮影していた時間には
離発着はありませんでした。いつものことですが計画的に行動したわけではないので
新潟空港での離発着機の時間など調べてませんでした(◍>ᴗ<◍)(笑)(笑)(笑)
手前が松浜小学校。
この「あかしあ公園」には北極星スコープがあります。
この穴から覗くと北極星が見えます。
色々なところから新潟の街を見て回っています。
新潟っていいところですよね(^o^)
「越後新潟良い処」
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2024年02月15日
OJIJIの旅-10③
OJIJIの旅-10③
2023年12月13日(水)
鹿屋市の「特攻隊資料館」を後にして
鹿児島県から熊本県へと向かうつもりでした。
つもりでした。と言うことは思い通りにならなかったということです(笑)
また道を間違えてしまいました。(>_<)
海上自衛隊の基地を出て国道504号で北上して国道10号にでるつもりでした。
その日のうちに国道10号につながれば「鹿児島市」も訪れたかったのです。
しかし、しかし、しかし(笑) 思い通りにはいかないものです。
確かに国道504を目指しました。しかし、越後ojijiが通っていたのは
なんと国道220号でした。そうです。本日の朝、国道220号から桜島に入り
またその国道を使って鹿屋市に向かい。県道や他の国道をつないで
やっと鹿屋市に着いたのにまた昨夜通った道をヨロヨロと走っていたのでした(笑)
気が付くのが遅かったです。
約1時間半くらい走ったところで・・「あれっ?」と気が付いたのです。
目の前には「夕日に映える桜島」がありました。
撮影しているところの対岸である鹿児島市の方面に陽が沈んでいきました。
鹿児島湾に落ちていく夕日です。
左側から夕日に照らされています。薄いオレンジ色に染まりつつあります。
少しずつ場所を変えて「夕映えの桜島」を撮影しています。
夕日と桜島の写真を撮影できるなんて「夢にも」思いませんでした。
美しい光景です。
完全に陽が沈みました。「夕映えの桜島」
道を間違えてしまったが故にこんな素晴らしい「桜島」を見ることができました。
実物の夕日と桜島はこの画像の何万倍も美しかったです。
貴重な経験をしたと思って感謝しています。
鹿児島湾に沈む夕日と桜島に感動して今度は道を間違えないように
国道220号を走り、国道10号につながりました。
遅くなったので鹿児島市に行くことは諦めました。
鹿児島市で美味いものでもたべたかったのですが・・・
途中で「鹿児島ラーメン」のお店があったのでそこで食事。
鹿児島ラーメンです。
食べ終わると丼からこんな言葉が出てきました。
その通りだと思います。
疲れたので早め目に宿をとり、ぐっすりと眠りました。
まだ鹿児島県内です。
翌日も早朝から行動しました。
熊本県との県境あたりで鶴に出会いました。
明日は熊本県の旅です。
つづく。
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2024年02月14日
NEKOYANAGI-2024
定点観察している近所のネコヤナギです。
春めいてきてここまで花穂をつけています。
この花穂の白銀色の産毛のようなもの一つ一つが花です。
これから花粉をつけるのでより分かりやすくなります。
毎年毎年、時を過たずにこのようになってくれます。
自然と言うものは素晴らしいですね。
植物も動物も本当の春に向けてその生命力を発揮します。
私達は自然の法則で植物も動物もこのようになると思っていますが
越後ojijiは自然をも支配する目には見えない力(はたらき)が働くのだろうと
思っています。それは存在を証明できない不思議なはたらきです。
それに対して「畏敬の念」をもっています。不思議です(笑)
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2024年02月13日
OJIJIの旅-10②
OJIJIの旅10②
2023年12月13日
次の目的地は「鹿屋市」です。
鹿屋市には「神風特別航空隊」の資料館があります。
なぜ?OJIJIがそこを目指したのかというと・・・・
私の叔父にあたる人が「神風特攻隊員」だったからです。
その足跡にちょっとでも触れたいと思い。ここを訪れました。
桜島を後にして国道220号で霧島市の方を目指しました。鹿児島湾沿いです。
しばらく走って県道72号線で鹿屋市に向かいました。
県道は道幅がせまいのですが天気の良い日だったので快適にドライブができました。
県道から国道504号につながって鹿屋市を目指しました。
地図を頼りに道路を選んだのですが、今回走った国道220号を桜島から
引き返すと鹿屋市には近道なんです。それは地図ではわかったいたのですが、、、
そして昨夜遅くに鹿屋市は通ってきているのです。遠回りになっても知らない道をはしるのが
こういう時の楽しみなのですが・・・・鹿屋市からの帰りにまたしくじった越後ojijiなのです(笑)(笑)(笑)
鹿屋航空基地資料館に着きました。
資料館です。
鹿屋航空基地史料館は大日本帝国海軍鹿屋航空基地時代から
現代の海上自衛隊に至るまでの写真や文献、実機(復元)等を展示することによって、
戦争・神風特別攻撃隊の実態、現代海上自衛隊の装備の変遷・活動等を
理解するための資料館です。
資料館は海上自衛隊 鹿屋航空基地の中にあります。
資料館内には「旧日本軍の資料」「現在の海上自衛隊の資料」「自衛隊の航空機の展示」
そして「神風特別攻撃隊の資料」があります。
越後ojijiは「神風特別攻撃隊」のことが知りたくて、この資料館を訪れました。
勿論「神風特攻隊」の資料はきっちりとありました。
しかし、そこは撮影禁止でした。目的地の一つにはしていましたが、旅の途中で
寄った所です。色々な関連のものをチェックしてメモに残すなどと言うことはできません。
撮影禁止で写真を撮ることができずとても残念でした。
資料館内の様子です。「ゼロ戦」が展示されていました。実物です。
海に沈んでいた何機分かの使える部分を組み合わせて復元した実物です。
ゼロ戦のほんものを見たのは初めてです。この飛行機も「特攻」に使われました。
資料館の内部です。
日本軍の飛行機乗りの服装です。
これを見てグっときました。
10代後半から20代前半の前途有為な若者がこの服装で
特別攻撃隊機に乗りこみ自爆用の爆弾を積み。
敵艦に突撃して命を落としていったのです。
資料館の内部です。
資料館の内部です。魚雷なども展示されていました。
特攻隊員達の寄せ書きです。
これを読んでいると悲しくなりました。
現代の海上自衛隊の資料部分です。
訓練用のシミュレーターです。
最新の設備・装備の資料等
最新の設備・装備の資料等
資料館の外に自衛隊機の実物が展示されています。
自衛隊機です。
2024年1月1日に羽田空港で海上自衛隊機の事故がありました。
海上自衛隊機は能登半島地震の支援物資を積んで新潟空港まで飛ぶところで
事故になってしまいました。大事な命を失ったことは悲しいことです。
越後ojijiが鹿屋基地にいたときには地震も航空機事故も思いもしませんでした。
自衛隊機です。いろいろな機種があるのだと感心しながら見ていました。
自衛隊機です。
越後ojijiの母親の弟である人が「神風特別攻撃隊の隊員」として命を落としました。
戦況が悪化してくるにしたがって、どうにか挽回しなければと焦った日本軍の上層部が
考え出したのが自爆攻撃という最低の戦法でした。
「神風特別攻撃隊」ができた経緯は色々と言われていますが今になれば
その経緯などは歴史の片隅に放っておかれています。
越後ojijiも経緯など、またその内容などどうでもいいんです。
大事なことは結果です。どんな人かは知らないが狂気じみた戦法を考え出して
多くの若者の命を奪ったということです。
戦争というのはそういう事だと思います。「白」か「黒」か「勝つ」が「負けるか」が戦争です。
戦争で闘う相手のことや自らの軍人の命のことなどは考えなくても良いのです。
それが戦争です。
私はこの特攻だけでなく、太平洋戦争で命を失ったすべての人々は
「国」に命を奪われたと思っています。
戦争は絶対悪です。その戦争と言う国が犯すもっとも愚かなことの犠牲になった人々は
日本国という国家に命を奪われたのだと思います。
写真撮影禁止の「神風特別攻撃隊」に関する資料には色々なものがありました。
遺書やわかる範囲の特攻隊員の写真。また特攻隊ができる経緯など詳しく
説明されていました。客観的な資料が多く、特攻隊を美化したり、特攻隊を否定したりの
感情的な部分を極力排除して、科学的事実で検証をしていました。
越後ojijiの父親も母親も戦争世代の人間です。
越後ojijiは戦争を知らない世代です。
父も母も戦争に関することはほとんど語りませんでした。
父親は戦後シベリアに抑留されて命からがら日本に戻ってきた人です。
辛かったであろう抑留生活のことは何も話してくれませんでした。
母親の家系は裕福で母親の弟として生まれた叔父は何不自由なく
育ったはずです。しかし、その時代です。志願して軍人になり、
さらに志願して特攻隊員になったそうです。遺骨は勿論ありません。
遺髪があるそうですが、それは私にはわかりません。遺書についてもわかりません。
20才前後だったそうです。母親はほとんど話しませんでした。
私は大人になってから親戚の者などに断片的に聞かされました。
もし、いつも思うのですが、もし、あの戦争と言う時代に生まれていなかったら、
もし、生まれた年が前後に一年ずれていれば・・・
この会ったこともない叔父は日本という国家に命を奪われるという理不尽な目に
逢わずに済んだかもしれない。もし、平和な時代に生まれていれば
彼の叔父や従弟達と同じように東大で学び社会に役立つ人として生きたかもしれない。
そして私の叔父ばかりではなく、多くの特攻隊員として命を落とした人達に
同じことがいえるのでしょう。
12月8日に広島の平和公園で思ったことをまた思い出しました。
「平和」は「努力して、努力して、努力して作り出すもの」
そして戦争に関しての永久不滅の言葉「過ちは繰り返しませぬから」・・・・
そうでなければ前途有為な若者たちの命になんといえばよいのでしょう。
鹿屋基地を後にしました。
色々なことが頭を経巡っていました。。。
熊本県に向かうつもりでした。
が何と、また道を間違えたのです。(>_<)
何と何と何と。。
今朝出発した場所に戻ってしまいました(笑)
でも、それが却ってよかったのです。
何と桜島の夕焼けをみることができました。
愚かなOJIJIの旅は続きます。
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2024年02月12日
銀色に輝いていました。
ビッグスワンです。
春を思わせるような陽が当たり「銀色に輝いて」いました。
一瞬「UFO」を連想しました。(^o^)(^o^)(^o^)
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22:11
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2024年02月10日
上所駅工事の進捗状況-2024年2月10日
「JR越後線」に新しくできる「上所駅」の工事進捗状況です。
工事は順調なようです。
11月頃に地盤固めの工事をしていました。
それが完了したようで、そのための工事設備が撤去されています。
一部はまだ残っていますが。
白く塗った鉄の骨組みができていました。
多分ここが駅舎になるのだと思います。
この鉄骨がさらに丈夫になり壁などがついて建物になるのでしょう
西跨線橋からみるとこんな感じです。
西跨線橋から「白山駅」の方を撮影しています。
白山駅から新潟駅方面の線路沿いの道路は工事に伴い通行止めです。
なかなかの大工事です。
ふと、線路沿いにある御宅の庭先を見ると
ドウダンツツジが新芽をつけていました。
少しずつ春が近づいています。
2024年2月10日(土)
春が少しずつ近づいています。
新駅ができるのを楽しみにして、変化があれば工事の進捗状況をお知らせしたいと思います。
あと1年後に新駅開業の予定だそうです。
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2024年02月09日
OJIJIの旅-10①
OJIJIの旅-10①
2023年12月13日(水)
本日の旅の始まりは「桜島」です。
皆さん桜島を訪れたことがありますか?
鹿児島県の桜島のことをどれほど知っていますか?
越後ojijiは目の前に桜島が見えたときに「びっくり」しました。
そして思わず叫びました。。。
「さくら島だぁ~」「生まれて初めて見る さくら島だぁ~」
桜島を見るのも今回の旅の目的にしていました。
それにしてもこんなにきれいな桜島を見ることができるなんて⁽⁽ଘ( ˊᵕˋ )ଓ⁾⁾
大感動の越後ojijiです。
この後桜島に入り桜島を一周しました。
佐多岬からここに通じる国道220号線(佐多街道と言うそうです)で桜島入口まできて
さらに島内の国道224号を走り、この後は県道でほぼ海岸沿い(鹿児島湾沿い)で
桜島を一周しました。
この美しさをご覧ください。
日の出前です。朝焼けに映えています。
なんとも美しい光景です。
やっと日の出です。朝日に映える桜島です。
桜島に入りました。眼下に広がる鹿児島湾
島内から見える桜島の様子を時間を追って色々な場所で撮影しました。
桜島は活火山です。噴火によってもたらされた「火山岩」です
いたるところで火山岩を見ることができました。
対岸は鹿児島市です。
鹿児島湾をはさんで対岸は鹿児島市です。
桜島と鹿児島市はフェリー航路で結ばれています。
航路は色々な種類があります。フェリーばかりではなく貨物航路等です。
移動しながら桜島を撮影しています。場所によって見え方が違います。
越後ojijiは感動しながら写真撮影をしていました。
これは「桜島大根」です。
「桜島大根」は鹿児島県の伝統野菜。火山灰地でよく育つとされています。
とても大きな大根で、見た目はカブのようです。
通常で6㎏位までなります。特大の物は30㎏もあるそうです。
越後ojijiは桜島大根を過去に見たことも食べたこともあります。
新潟にも市場経由で売られていることがあります。それで知っていました。
が・・このように植えられている桜島大根を見たのは勿論初めてです。
葉っぱも初めて見ました。
「へぇー」桜島大根ってこんな風に育てられているんだ。と思いました。
白いのは雪ではありませんよ(笑) 桜島大根を保護するビニルシートです。
島内を車ではしっていると、とにかく異文化と思われる光景に遭遇します。
面白い家がありました。そこは民家なのですがとても風変わりで
やはりここは南国なんだな。と思わせる建物でした。※写真を撮り忘れたので画像無し。
またお庭も素晴らしかったです。
そんな建物や景色を眺めている時に白髪のご婦人が不思議そうに
いや!!!怪訝そうに声をかけてくれました。(笑)
その方は横浜出身で旦那様が定年後に夫の故郷のこの地に引っ越してきたそうです。
その面白い建物や立派なお庭の所有者は現在、別のところで生活していて
人は住んでいない。という話や桜島の面白い話をしてくださいました。旅のよい思い出です。
その方がすぐ近くに公共の温泉施設があるので利用すると良い。
と教えたもらったのが「白浜温泉センター」でした。
誰でもが利用できる公共施設です。
白浜温泉センター。
OJIJIも桜島の温泉を楽しみました。
地域の人達が沢山利用していました。
露天風呂などもあり、とても良い思いをしました。
1時間ほど温泉でのんびりした後にまた桜島の様子を撮影。
火口の様子も撮影できました。
途中の峠のようなところで撮影。
また海岸部に降りてきた撮影。
海岸沿いに「国旗日の丸のふるさと」と記された碑がありました。
有名な「島津斉彬」公がここに近代造船所を造り、作った船に日の丸を掲げたそうです。
それが明治の時代になって「国旗」になった。というような歴史上の話が記されていました。
しばし海岸沿いを走り、桜島を後にしました。
越後ojijiにとって二度と来ることが無いだろうという桜島です。
早朝から午前中にかけて時間をたっぷりととって見物しました。
桜島は活火山として貴重な研究対象でもあります。
島内には桜島を研究する施設のありました。勉強になりました。
観光地としての桜島はとても価値があると思いました。
さて桜島を後にして次の目的地に向かいました。
そして何とどんでん返し返しがあったのです。
馬鹿なOJIJIの年より旅は続きます(笑)
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2024年02月08日
山茶花[サザンカ]
山茶花の季節もほぼ終わりですね。
12月のこの花の一番盛りの時期に新潟にいないで西日本、九州・四国方面への
大旅行をしていた越後ojijiです。(^o^)/
今年は新潟できれいな山茶花を撮り損ねました。
今の時期は花にも葉にも勢いが無く、きれいな状態の山茶花を探すのが大変です(笑)
越後ojijiは「山茶花」と「椿」の区別がつきません。
ましてやこれから咲くという「雪椿=ユキツバキ」と
山茶花・椿等の区別などつくはずがありません。(笑)
因みに「雪椿」は新潟県の県木です。
図書館に行ったり、ネットで調べたりしました。
雪椿発見の研究成果等も学びました。
しかし、実際に咲いている花をみて区別などつくわけがありません。
専門に育てているか研究をして毎日それを見ているようでなければ
一過性の「知ったかぶり」なのだと思います。(笑)
それでも真っ白な雪に映える山茶花や椿。
存在感は大きいです。
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