2013年08月20日
順徳天皇
新潟市立鳥屋野小学校のすぐ近くに「順徳天皇御装束塚」というのがあります。
順徳天皇は越後・佐渡と縁の深い天皇です。
後に見える校舎が「鳥屋野小学校」です。
「御装束塚」とはこれを読んで下さい。
順徳天皇(順徳院)
順徳天皇1197年~1242年、第84代天皇。後鳥羽天皇の第三皇子。承久の乱で破れて、佐渡に配流される。佐渡で崩御。
小倉百人一首に以下の和歌があります。
『ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり』
宮中の古い軒端の忍ぶ草(シダ科の植物で、荒廃の象徴とされる草)を見るのつけても、偲んでも偲びつくせないものは昔の良き(天皇親政の)時代である。
越後は歴史の古い地域です。至るところに歴史的遺物があります。
天皇や上皇が佐渡に流されたのには理由があります。「佐渡流し」と言えばどこか不便なところに「罰」として流されるというイメージがあると思いますが、実は正反対です。
佐渡は潮流の関係で気候が大変に温暖なところなのです。
リンゴの南限、ミカンの北限とされていて食べ物が豊富で生活もしやすいところなのです。
京から「やんごとなき」人々がたくさん佐渡に流されたので佐渡は歴史的に「文化の島」になったのです。
Posted by 越後OYAJI at 14:46│Comments(0)