2024年08月15日

2024年8月15日・終戦の日


2024年8月15日(木)

【終戦の日-平和を考える】

2024年8月15日・終戦の日

8月15日
・終戦記念日
・終戦の日

色々な捉え方があると思うのですが
越後ojijiは8月15日は
「敗戦の日」と認識しています。

愚かな、無謀な戦争などということを引き起こし、
多くの尊い命を奪い、武器ももたないで
食糧難に耐えた結果、理不尽に死んでいった弱い者たち。
その人たちの大きな大きな犠牲の上に
日本と言う国が得たものが「敗戦」だったのだと思う。

終戦は戦争が終わった。と言う事実だけで、
理不尽さに目を向けていない。
そう思うのです。

越後oyaji(ojiji)は戦後生まれですので
戦争を知らない世代です。

しかし、二度と戦争はしてはいけない。
悲惨だった。苦しかった。悲しかった。
という教育を受けて育ちました。
学校教育の中心が「平和教育」だった。
そういっても過言では無かったと思っています。

そして平和を維持することがどんなに大変なことか
それを教えられ、心に叩きこまれた世代です。

父はシベリア抑留者です。
しかし、戦争のことは殆ど語りませんでした。
母の実の弟は「特攻隊員」でした。
20歳前後で突撃死しました。
遺品は無いそうです。
しかし、母も戦争のことは一切語りませんでした。
私達子供に悲しい思いをさせたく無かったのだと思います

私が生まれ育った世代は高度成長時代ですし
青年期はバブル期でした。
豊かな社会状況の中で育ちました。感謝です。
平和でした。和やかでした。楽しかった。

今、世界を見ると戦争と紛争が長引いています。
極東(Far East)で穏やかに生活している私達には
何の関係も無いように思ってしまいます。
でもはたして?、それでいいのでしょうか?
何時?、びっくりするように平和が砕かれてしまうかも
しれません。そんなことがあってはなりません。
平和は作り出すものだと思っているからです。
何も武器も持たず武装もしていない国を
突然襲ってくることが、あってはならないのです。
その為にいつでも平和日本を守るために国軍を持ち
武装しなければならない。という政治勢力があります。
難しい問題です。しかし、日本には平和憲法があり
武力は放棄して、且つ交戦権すら持たないのです。
その国を維持しなければならないと思っています。
勿論、最高裁判決で確定しているように自衛権までは
放棄してはいません。
専守防衛は当たり前のことだと思います。
今、語りだされているのはその専守防衛を逸脱しようと
いう動きです。多くの命の犠牲の上に得た平和。
二度と戦争はしないと誓った平和憲法。
それがないがしろにされようとしています。
それで本当に良いのだろうか???

昨年12月に約1ッ月かけて西日本旅行をしました。
軽自動車ての貧乏一人旅でした。
広島。長崎。そして鹿児島鹿屋市の特攻記念館。
その他の戦争の傷が残る土地を経巡ってきました。
年齢的に二度と九州や四国・中国地方に行くことは
できないと思ったからです。
その期間中、ずっと「平和とは?」を考えていました。
何度か訪れた「広島平和公園」や今回二度目の
「長崎平和公園」そして初めて特攻隊というのを
間近に感ずることができた「鹿屋特攻記念館」
広島・長崎での「熱射」による痛み苦しみ。
特攻という理不尽な戦死。
実際に経験していないからこそ、その現実に
触れる経験は大事なことだと思っています。

私のような筋金入りの「平和主義者」を
あざ笑う雰囲気が醸し出されています。
危険なにおいです。

日本を再武装して軍力を強めて、場合によっては
他国を軍事的に攻めていく。

過去にもどるのですか?
過去に何を学んだのですか?

先ほど戦没者慰霊式の生中継がありました。
参列した方々(天皇・皇后両陛下を含めて)は
ことごとく、不戦と平和を誓っていました。
天皇陛下のお言葉の中に「平和を希求する」
というお言葉がありました。
戦争を知らない世代の今上陛下の言葉として
重いものがあると思います。
私はそれを信じたい。どんなことがあっても
二度ととあの不幸な戦争という愚かな行為を
してもらいたくない。私の子供・孫・曾孫・子孫
その子たちが嫌な思いをしたり、貧しかったり、
痛かったり、ひもじかったり、そんなことが
無いようにと思い、祈るだけです。

人間は基本的には「愚かな存在」です。
過ちをおかす存在です。
それを繰り返してしまう存在です。

でも人間の素晴らしいところは「過去」に
学ぶちからを持っていることです。

朝ドラ「虎に翼」で「総力戦研究所」という
機関の存在が出てきて、再注目されています。

この研究所での研究結果を当時の戦争推進者は
「机上の空論」である。と一蹴しました。
日本には「神風」が吹く。過去の「日清・日露」の
戦争を勝つと予想した者たちがいただろうか?
今回の大戦も日本必勝である。
と無謀で且つ盲目的に戦争を推し進めたのです。

結果は「総力戦研究所」がシミュレーションした
通りでした。何と犠牲になった人々の数まで
シミュレーションのとうりでした。
この研究で想定外だったのは
「原爆使用」だけだったといいます。
それだけ科学的に検証された研究でした。
現在の為政者達はこの過去に学ぶ力が
あるのでしょうか?
過ちは繰り返さないのでしょうか?

今、日本が再軍事化しても
一体何の利益があるのでしょう?

世界中から軽蔑され、嫌われる国に堕するだけです。
そう思います。

越後oyajiは「バカみたい」に平和平和と
叫び続けます。「バカみたい」にです。
平和であるためには相手への「愛」です。
自分と考えが違う相手も尊重し、尊敬し、愛する。
そして徹底的に語る。話し合う。尊重し合う。
国家であれば外交です。。。

周りの国々に力を見せつけても平和は実現しません。
一人一人の心の中にある「愛」が世界を平和にする。
そう信じています。争いの素を作っても、けっして
「平和」はおとずれません。

終戦記念日・敗戦記念日に接して
私達が得た最大の恵みが「平和憲法」である。
ともう一度確認したいものです。

105歳まで生きて、各方面に影響力があった、
聖路加国際病院の名誉院長であった、
日野原重明先生は
「日本国憲法は聖書に通ずるものがある」と
おっしゃっていました。

私もその通りだと思っています。

※平和に関する考え方は色々です。
その多様な考え方を否定しません。
また私の考えを押し付けるつもりもありません。
さらに、私は真反対の考えの方と議論する
つもりもありません。ましてや、説得するなんて
ことは絶対にありません。
平和国家のあり方は政治問題だからです。
政治問題であれば多数決になると思います。
平和国家が維持し続けられることを祈るだけです。

皆さまも色々な立場で
どうぞ「平和」を考えて下さい

画像は新潟市西区小針にある新潟市内の
キリスト教教会の合同墓地です。
付設の「納骨堂」内にあるステンドグラスです。
越後oyajiには平和の象徴であり、
愛の象徴である「十字架」に見えます。

長い文章を読んで下さりありがとうございました。


#平和#終戦の日#敗戦の日
#平和を希求する#聖書#十字架








Posted by 越後OYAJI at 15:36│Comments(0)
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