2024年02月23日

山の下海浜公園


本日は「天皇誕生日」の祝日です。

昭和世代の越後ojijiは天皇誕生日といえば「4月29日」のことだとずっーと思っていました。
そして4月29日は祝日で学校がお休みでした。
越後ojijiが生まれたときから天皇陛下は「昭和天皇」でした。

平成の御代になり現上皇様が天皇であった時の天皇誕生日は12月23日。
そして今上天皇の誕生日は本日2月23日です。

今日、皇居で天皇陛下のお誕生日をお祝いする「一般参賀」が行われたそうです。
「一般参賀」と言えば新年の一般参賀が皇室と国民とを結ぶ大切な行事です。
しかし、今年は「能登半島大地震」が1月1日に起こり、翌日からの一般参賀は
中止になりました。陛下ご夫妻も上皇ご夫妻も秋篠宮ご一家も地震の被災者に
心を痛めていたということでした。本日の陛下のお言葉に地震被害者への
思いが込められていて、感動・感激した方々が多いことでしょう。
日本の皇室は憲法で定められた国民にとって大切な存在です。
まだまだお若い陛下ですが、皇后さまとともに健康な一年を過ごされるように
お誕生日をお祝いしたいと思います。

先日、天気の良い日に東区にある「山の下海浜公園」に行ってきました。
好天でしたが海は荒れていて高い波が見えました。

真夏になるとここは海水浴場でもあります。


新日本海フェリーが通っていきました。ここは信濃川河口です。
遠くに新潟港内の安全を守る「赤い灯台」が見えます。


山の下海浜公園は新潟空港の隣です。
飛行機が飛び立っていきました。


公園は砂で覆われていました。
今回の地震でそうなったのか、それとも海からの砂が陸地に打ち寄せたのか?
いずれにしてもこのままでは「公園」としての機能を発揮できない状況でした。
砂の様子を写真に撮ったのですが、うまく砂に埋まっている状況を伝えるような
写真になっていません。それで画像はなし(◍>ᴗ<◍)

新潟海岸はずっと長く続く「砂丘地」です。
砂との闘いも新潟で生活する上でのキーポイントです。

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2024年02月22日

OJIJIの旅-11②


越後ojijiの旅-11②
2023年12月14日(木)
水俣病について考える。

『水俣メモリアル』
水俣病被害と人の命をイメージしたオブジェです。


鹿児島県出水市と熊本県水俣市は隣接しています。
この標識の裏には鹿児島県出水市と書かれています。


国道3号線を走っているとミカン畑がいたるところにありました。
暖かい九州・四国はミカン栽培が盛んなんだと実感しました。

これは「夏みかん」です。


これは普通の「温州みかん」です。


水俣病を学ぶ資料館は「まなびの丘」というところにあります。
ここは水俣市のエコパーク水俣(水俣広域公園)という広大な公園に隣接しています。
国道3号線からすぐのところです。



水俣病資料館に着きました。


修学旅行でしょうか? おおくの子供達が見学に来ていました。


子供たちにとって大切な学習の場です。


『水俣病』という病気は他人ごとではありません。
読者の方々は「第二水俣病」という言葉を知っていますか?
「第二水俣病」というのは『新潟水俣病』のことです。
熊本県水俣で起こった大変な公害病が実は新潟でも起こっていたのです。
熊本・新潟の水俣病の原因・結果・その後などを書きだすとこのブログが終わりません。
過去のこととして終わっているのかもしれません。
でもいつまでも私達は考えなくてはならないテーマです。
以下を参考にしてください。
※熊本水俣病については
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85
https://medicalnote.jp/diseases/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85?utm_campaign=%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85&utm_medium=ydd&utm_source=yahoo
※新潟水俣病については
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85
https://www.humanservices.jp/wp/wp-content/uploads/magazine/vol50/49.pdf
ウィキペディアは必ずしも正しい情報を記載していません。
鵜呑みにしないで必ず検証をお願いします。by 越後oyaji


資料館の内部です。














水俣湾がメチル水銀で汚染され、食物連鎖で人間にまで害を及ぼした病気。
病気の原因とされたのが「有機水銀汚染の魚」でした。
現在は水俣湾は安全な海になっています。
タレントで水産学者の「さかなクン」からのメッセージもありました。


現在の水俣湾(八代海)です。過去にあんな大公害があり多くの人が亡くなり、
現在も多くの方々が苦しんでいる公害病の「場」となったところです。
そんな過去を微塵も感じさせないほどに「清浄化」され安全になっています。


水俣湾(八代海)は穏やかでした。


八代海(水俣湾)の名の通り水俣市の北に「八代市」があります。
「八代市」出身の大歌手「八代亜紀」さんの出身地です。
OJIJIが旅行を終えた後の12月30日に逝去なさいました。
この地域を車で走っている時に「八代亜紀」さんのことが
頭に浮かんでいたのを覚えています。がその後にお亡くなりになるとは・・・


水俣市を後にして熊本市を目指しました。
途中で食べた「熊本ラーメン」です。
「マー油」という独特の「油」を入れるのが特徴だそうです。


水俣病に関しては書くのも辛いです。
それは「広島平和公園」「鹿屋の特攻基地」の記事を書いたときと同じです。
でもそこまで行って良かった。命を考える色々な示唆を与えられた。
そう思っている越後ojijiです。
新潟水俣病に関してはいずれ書かなければならない時がくると思っています。
新潟水俣病を見つけた新潟大学のT教授ご夫妻とは医学と別の関係で親しくしていただきました。
また越後ojijiの関係者は阿賀野川沿いの自治体で医療関係に従事していました。
勿論、新潟水俣病と関わっていたはずです。
命について考えるときに「公害病」や「戦争」など
あってはならない事実と向き合わなければならない時は
本当に本当に辛いです。

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2024年02月21日

白山神社の「梅の花」


白山神社の「梅の花」が満開です。

毎年白山神社の「梅」は話題になります。
この梅の木は花を愛でる「梅の木」です。
梅には梅の実を取るための木もあります。
今後亀田なので咲く藤五郎梅の花などは実を取るための花です。

『白梅』




『紅梅』


白山神社本殿


白山公園の池に架かっている橋 色鮮やかです。


久しぶりに「白山神社」に行ってきました。
神社の境内でもある白山公園には昔、日本猿が飼育されていました。
今回そこを見てみるとお猿さんはいませんでした。
数年前に死んだのだそうです。残念。
ただ飼育舎だけがそのまま残っていました。新潟市が管理していたのだそうです。
撤去するのにも税金でやることになります。
厳しい新潟市の財政の中でこんな小さなことも放っておかれるのですね(>_<)(;´・ω・)

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2024年02月19日

満願寺稲架木並木(まんがんじ はさぎ なみき)


新潟市秋葉区満願寺地区の満願寺稲架木並木(まんがんじ はさぎ なみき)です。

稲架木(はさぎ)とは
稲架場に「たも木」や「ハンノキ」を植えて、稲の乾燥に利用する新潟県特有のもの。
かつては新潟県特有の農村風景としてよく見かけましたものだが
農業の機械化が進み、籾(もみ)の機械乾燥が広く普及して
県内各地の稲架場が次々と姿を消していった。←という説明がネット上にありました。(笑)


満願寺稲架木並木です。


新潟市の文化財に指定されています。










新潟市の「稲架木並木」として有名なのが旧岩室村の「夏井の稲架木」と
旧中之口村の「門田稲架並木」があります。
四季折々に違った表情を見せ、新潟市の大切な観光スポットになっています。
プロ・アマを問わずこの「稲架木」並木を被写体として四季の変化を写真に撮り収めています。
今年は少雪でこの時期に新潟市には雪がありません。雪と稲架木並木の光景も
写真の素材としては最高です。
これからは新緑の季節になっていきます。稲架木にも緑の葉がよみがえります。
そんな景色も楽しみです。

満願寺稲架木並木を撮影した日はとても良い天気でしたが
寒い日でした。大好きなラーメンをを食べて帰宅しました。
野菜醤油タンメンです。




新潟市には他県に自慢できる観光資源が無数にあります。
ただいつも見慣れている景色なのでそれが宝であることになかなか気が付かないようです(笑)

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2024年02月18日

OJIJIの旅-11①


OJIJIの旅-11①
2023年12月14日(木)

昨日桜島の夕やけに魅了されて大満足でした。
本日も早朝から旅を続けている越後ojijiです。

道に迷わないよう注意して運転しました。
OJIJIにも分かりやすい国道3号線を走り熊本県を目指しました。

ここはまだ鹿児島県内です。
鹿児島県出水市に着いて「鶴」に出会いました。
出水市は鶴の飛来地として有名で毎年1万羽~2万羽ほどの鶴が飛来して越冬するそうです。
いつものことで計画的に行動しているのではないので、国道沿いの案内板で「出水市の鶴飛来地」
と言うことを知り、その場所に行きました。
出水市が鶴の飛来地であり、越冬地であることの知識はありました。
でも越後ojijiは本物の鶴を見たのは生まれて初めてです。

出水市で出会った「鶴」です。


出水市に着くまでに国道3号線で海沿いを走りました。
天草灘です。この海は「東シナ海」です。


南国らしい景色にずっと魅せられている越後ojijiです(笑)


途中で「卵の自販機」がありました。
OJIJIは初めて「卵の自販機」を見ました。
こういうのもあるのだなぁと感心して写真をパチリ(笑)


沢山の「鶴」がいました。


出水市ツル観察センターです。


この越冬地を中心に色々なところで「ツルのオブジェ」を見ました。


おびただしい数の鶴です。


ツルの姿は端麗です。

早朝にも拘わらず大勢の鶴観察者と鶴を撮影するカメラマンがいました。

この鶴の飛来地を後にするときに車の消毒をされました。
鳥インフルエンザ予防の対策だそうです。

水仙です。
花のつぼみです。この日は12月14日です。真冬です。
新潟で水仙の花が咲き出すのは早くて3月後半、四月です。
新潟と九州ではこんなに気候が違って植物の咲き方にも違いがあるのだと
改めておもったものです。



出水市を後にしました。
朝早くから活動していたのでモーニングコーヒーと思い「コメダコーヒー」に入りました。
コーヒーを注文するとモーニングセットとしてパンがついていました。
何となく得をした気分でした。(笑)
コメダ珈琲は越後ojijiの自宅の近くにあります。が利用したことはありせんでした。
旅に出ると馴染みの看板があると安心して利用できるような気がしています。


いよいよ熊本県です。



鶴とか白鳥とか大型の鳥類を「おおとり」というそうです。
この時越後ojijiは
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
という中国の古典「史記」出てくる言葉をおもいだしていました。
「燕雀」というのはツバメやスズメのことで小鳥であり人間に例えると「小物の人格」のことです。
「鴻鵠」とはツバメやスズメとは比べものにならない大鳥で人間に例えると「大人物」のことです。
大物になる人間は高い志をもっているのであり、小物の人間にはその志の本当の意味など
分かるはずがない。ということです。
越後ojijiは「燕雀」であり私に人生を教えて下さった多くの先輩はまさに「鴻鵠」でした。
大人物の本当の姿を真実の目で見ることができずいつまでたっても「燕雀」である
自分を恥じ入ったのです。(笑)

そんなことを考えながら車を運転していました。
出水市からほどなく熊本県に入り
熊本県水俣市に着きました。

つづく。

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2024年02月17日

白鳥の瓢湖


水原の瓢湖(現阿賀野市)に行って「白鳥」を見てきました。

久しぶりに瓢湖に行きました。3年~4年ぶりだったと思います。

多くの人が白鳥見物に来ていました。
外国からの見物客もいました。外国語が飛び交っていました。

瓢湖です。


沢山の見物客で賑わっていました。


瓢湖に浮かぶ白鳥。


瓢湖には白鳥と共に多くの鴨もいます。
白鳥の羽の黒いのはまだ幼鳥です。


五頭連邦と瓢湖の白鳥


白鳥が飛んでる様子を撮影したくて瓢湖に行きました。
なかなか思い通りに撮影ができませんでした。
50枚以上撮影してブログにアップできそうと思ったのが以下の二枚です(笑)


飛んでいる鳥を撮影するのは難しいです。


撮影していると突然雨が降り出しました。
天気予報は晴れだったのに・・と恨み言を口にしながら車に避難(笑)

気温も急に下がってきたので暖かいラーメンを食べて帰宅しました。
ある食堂の「チャーシュー麵」です。


瓢湖は江戸時代に造成された農業用水池です。
今でも農業用水ですし新潟県の大切な観光資源です。

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2024年02月16日

松浜橋


新潟市北区松浜にある「あかしあ公園」から
冬の松浜橋、新潟空港、東区の街などを撮影しました。

「あかしあ公園」は東区から松浜橋を渡った小高いところにある展望台です。
すぐ眼下は「松浜小学校」です。
天気の良い日に「あかしあ公園」に行ってきました。

松浜橋です。アーチがきれいです。


阿賀野川は穏やかです。


北区から東区を撮影。
北越製紙の煙突からの煙(水蒸気)が印象的です。


新潟空港方面。赤いのは滑走路の誘導灯(誘導路)です。
飛行機の離発着があるかと期待していたのですが越後ojijiが撮影していた時間には
離発着はありませんでした。いつものことですが計画的に行動したわけではないので
新潟空港での離発着機の時間など調べてませんでした(◍>ᴗ<◍)(笑)(笑)(笑)
手前が松浜小学校。


この「あかしあ公園」には北極星スコープがあります。
この穴から覗くと北極星が見えます。


色々なところから新潟の街を見て回っています。
新潟っていいところですよね(^o^)

「越後新潟良い処」

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2024年02月15日

OJIJIの旅-10③


OJIJIの旅-10③
2023年12月13日(水)

鹿屋市の「特攻隊資料館」を後にして
鹿児島県から熊本県へと向かうつもりでした。
つもりでした。と言うことは思い通りにならなかったということです(笑)
また道を間違えてしまいました。(>_<)
海上自衛隊の基地を出て国道504号で北上して国道10号にでるつもりでした。
その日のうちに国道10号につながれば「鹿児島市」も訪れたかったのです。
しかし、しかし、しかし(笑) 思い通りにはいかないものです。
確かに国道504を目指しました。しかし、越後ojijiが通っていたのは
なんと国道220号でした。そうです。本日の朝、国道220号から桜島に入り
またその国道を使って鹿屋市に向かい。県道や他の国道をつないで
やっと鹿屋市に着いたのにまた昨夜通った道をヨロヨロと走っていたのでした(笑)

気が付くのが遅かったです。
約1時間半くらい走ったところで・・「あれっ?」と気が付いたのです。

目の前には「夕日に映える桜島」がありました。


撮影しているところの対岸である鹿児島市の方面に陽が沈んでいきました。
鹿児島湾に落ちていく夕日です。


左側から夕日に照らされています。薄いオレンジ色に染まりつつあります。




少しずつ場所を変えて「夕映えの桜島」を撮影しています。




夕日と桜島の写真を撮影できるなんて「夢にも」思いませんでした。




美しい光景です。








完全に陽が沈みました。「夕映えの桜島」


道を間違えてしまったが故にこんな素晴らしい「桜島」を見ることができました。
実物の夕日と桜島はこの画像の何万倍も美しかったです。
貴重な経験をしたと思って感謝しています。

鹿児島湾に沈む夕日と桜島に感動して今度は道を間違えないように
国道220号を走り、国道10号につながりました。
遅くなったので鹿児島市に行くことは諦めました。
鹿児島市で美味いものでもたべたかったのですが・・・

途中で「鹿児島ラーメン」のお店があったのでそこで食事。
鹿児島ラーメンです。


食べ終わると丼からこんな言葉が出てきました。
その通りだと思います。


疲れたので早め目に宿をとり、ぐっすりと眠りました。
まだ鹿児島県内です。
 
翌日も早朝から行動しました。
熊本県との県境あたりで鶴に出会いました。

明日は熊本県の旅です。
つづく。

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2024年02月14日

NEKOYANAGI-2024


定点観察している近所のネコヤナギです。

春めいてきてここまで花穂をつけています。

この花穂の白銀色の産毛のようなもの一つ一つが花です。

これから花粉をつけるのでより分かりやすくなります。









毎年毎年、時を過たずにこのようになってくれます。
自然と言うものは素晴らしいですね。
植物も動物も本当の春に向けてその生命力を発揮します。
私達は自然の法則で植物も動物もこのようになると思っていますが
越後ojijiは自然をも支配する目には見えない力(はたらき)が働くのだろうと
思っています。それは存在を証明できない不思議なはたらきです。
それに対して「畏敬の念」をもっています。不思議です(笑)

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2024年02月13日

OJIJIの旅-10②


OJIJIの旅10②

2023年12月13日

次の目的地は「鹿屋市」です。
鹿屋市には「神風特別航空隊」の資料館があります。

なぜ?OJIJIがそこを目指したのかというと・・・・
私の叔父にあたる人が「神風特攻隊員」だったからです。
その足跡にちょっとでも触れたいと思い。ここを訪れました。

桜島を後にして国道220号で霧島市の方を目指しました。鹿児島湾沿いです。
しばらく走って県道72号線で鹿屋市に向かいました。
県道は道幅がせまいのですが天気の良い日だったので快適にドライブができました。
県道から国道504号につながって鹿屋市を目指しました。

地図を頼りに道路を選んだのですが、今回走った国道220号を桜島から
引き返すと鹿屋市には近道なんです。それは地図ではわかったいたのですが、、、
そして昨夜遅くに鹿屋市は通ってきているのです。遠回りになっても知らない道をはしるのが
こういう時の楽しみなのですが・・・・鹿屋市からの帰りにまたしくじった越後ojijiなのです(笑)(笑)(笑)

鹿屋航空基地資料館に着きました。


資料館です。
鹿屋航空基地史料館は大日本帝国海軍鹿屋航空基地時代から
現代の海上自衛隊に至るまでの写真や文献、実機(復元)等を展示することによって、
戦争・神風特別攻撃隊の実態、現代海上自衛隊の装備の変遷・活動等を
理解するための資料館です。



資料館は海上自衛隊 鹿屋航空基地の中にあります。


資料館内には「旧日本軍の資料」「現在の海上自衛隊の資料」「自衛隊の航空機の展示」
そして「神風特別攻撃隊の資料」があります。
越後ojijiは「神風特別攻撃隊」のことが知りたくて、この資料館を訪れました。
勿論「神風特攻隊」の資料はきっちりとありました。
しかし、そこは撮影禁止でした。目的地の一つにはしていましたが、旅の途中で
寄った所です。色々な関連のものをチェックしてメモに残すなどと言うことはできません。
撮影禁止で写真を撮ることができずとても残念でした。

資料館内の様子です。「ゼロ戦」が展示されていました。実物です。
海に沈んでいた何機分かの使える部分を組み合わせて復元した実物です。


ゼロ戦のほんものを見たのは初めてです。この飛行機も「特攻」に使われました。


資料館の内部です。


日本軍の飛行機乗りの服装です。
これを見てグっときました。
10代後半から20代前半の前途有為な若者がこの服装で
特別攻撃隊機に乗りこみ自爆用の爆弾を積み。
敵艦に突撃して命を落としていったのです。


資料館の内部です。


資料館の内部です。魚雷なども展示されていました。


特攻隊員達の寄せ書きです。
これを読んでいると悲しくなりました。



現代の海上自衛隊の資料部分です。
訓練用のシミュレーターです。


最新の設備・装備の資料等


最新の設備・装備の資料等



資料館の外に自衛隊機の実物が展示されています。


自衛隊機です。
2024年1月1日に羽田空港で海上自衛隊機の事故がありました。
海上自衛隊機は能登半島地震の支援物資を積んで新潟空港まで飛ぶところで
事故になってしまいました。大事な命を失ったことは悲しいことです。
越後ojijiが鹿屋基地にいたときには地震も航空機事故も思いもしませんでした。


自衛隊機です。いろいろな機種があるのだと感心しながら見ていました。


自衛隊機です。


越後ojijiの母親の弟である人が「神風特別攻撃隊の隊員」として命を落としました。
戦況が悪化してくるにしたがって、どうにか挽回しなければと焦った日本軍の上層部が
考え出したのが自爆攻撃という最低の戦法でした。
「神風特別攻撃隊」ができた経緯は色々と言われていますが今になれば
その経緯などは歴史の片隅に放っておかれています。
越後ojijiも経緯など、またその内容などどうでもいいんです。
大事なことは結果です。どんな人かは知らないが狂気じみた戦法を考え出して
多くの若者の命を奪ったということです。
戦争というのはそういう事だと思います。「白」か「黒」か「勝つ」が「負けるか」が戦争です。
戦争で闘う相手のことや自らの軍人の命のことなどは考えなくても良いのです。
それが戦争です。
私はこの特攻だけでなく、太平洋戦争で命を失ったすべての人々は
「国」に命を奪われたと思っています。

戦争は絶対悪です。その戦争と言う国が犯すもっとも愚かなことの犠牲になった人々は
日本国という国家に命を奪われたのだと思います。

写真撮影禁止の「神風特別攻撃隊」に関する資料には色々なものがありました。
遺書やわかる範囲の特攻隊員の写真。また特攻隊ができる経緯など詳しく
説明されていました。客観的な資料が多く、特攻隊を美化したり、特攻隊を否定したりの
感情的な部分を極力排除して、科学的事実で検証をしていました。

越後ojijiの父親も母親も戦争世代の人間です。
越後ojijiは戦争を知らない世代です。
父も母も戦争に関することはほとんど語りませんでした。
父親は戦後シベリアに抑留されて命からがら日本に戻ってきた人です。
辛かったであろう抑留生活のことは何も話してくれませんでした。
母親の家系は裕福で母親の弟として生まれた叔父は何不自由なく
育ったはずです。しかし、その時代です。志願して軍人になり、
さらに志願して特攻隊員になったそうです。遺骨は勿論ありません。
遺髪があるそうですが、それは私にはわかりません。遺書についてもわかりません。
20才前後だったそうです。母親はほとんど話しませんでした。
私は大人になってから親戚の者などに断片的に聞かされました。
もし、いつも思うのですが、もし、あの戦争と言う時代に生まれていなかったら、
もし、生まれた年が前後に一年ずれていれば・・・
この会ったこともない叔父は日本という国家に命を奪われるという理不尽な目に
逢わずに済んだかもしれない。もし、平和な時代に生まれていれば
彼の叔父や従弟達と同じように東大で学び社会に役立つ人として生きたかもしれない。
そして私の叔父ばかりではなく、多くの特攻隊員として命を落とした人達に
同じことがいえるのでしょう。
12月8日に広島の平和公園で思ったことをまた思い出しました。
「平和」は「努力して、努力して、努力して作り出すもの」
そして戦争に関しての永久不滅の言葉「過ちは繰り返しませぬから」・・・・
そうでなければ前途有為な若者たちの命になんといえばよいのでしょう。

鹿屋基地を後にしました。
色々なことが頭を経巡っていました。。。
熊本県に向かうつもりでした。
が何と、また道を間違えたのです。(>_<)
何と何と何と。。
今朝出発した場所に戻ってしまいました(笑)
でも、それが却ってよかったのです。
何と桜島の夕焼けをみることができました。
愚かなOJIJIの旅は続きます。

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2024年02月12日

銀色に輝いていました。


ビッグスワンです。

春を思わせるような陽が当たり「銀色に輝いて」いました。





一瞬「UFO」を連想しました。(^o^)(^o^)(^o^)

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2024年02月10日

上所駅工事の進捗状況-2024年2月10日


「JR越後線」に新しくできる「上所駅」の工事進捗状況です。

工事は順調なようです。

11月頃に地盤固めの工事をしていました。
それが完了したようで、そのための工事設備が撤去されています。
一部はまだ残っていますが。

白く塗った鉄の骨組みができていました。
多分ここが駅舎になるのだと思います。
この鉄骨がさらに丈夫になり壁などがついて建物になるのでしょう


西跨線橋からみるとこんな感じです。


西跨線橋から「白山駅」の方を撮影しています。


白山駅から新潟駅方面の線路沿いの道路は工事に伴い通行止めです。


なかなかの大工事です。
ふと、線路沿いにある御宅の庭先を見ると
ドウダンツツジが新芽をつけていました。
少しずつ春が近づいています。


2024年2月10日(土)
春が少しずつ近づいています。
新駅ができるのを楽しみにして、変化があれば工事の進捗状況をお知らせしたいと思います。
あと1年後に新駅開業の予定だそうです。

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2024年02月09日

OJIJIの旅-10①


OJIJIの旅-10①
2023年12月13日(水)

本日の旅の始まりは「桜島」です。
皆さん桜島を訪れたことがありますか?
鹿児島県の桜島のことをどれほど知っていますか?

越後ojijiは目の前に桜島が見えたときに「びっくり」しました。
そして思わず叫びました。。。
「さくら島だぁ~」「生まれて初めて見る さくら島だぁ~」

桜島を見るのも今回の旅の目的にしていました。
それにしてもこんなにきれいな桜島を見ることができるなんて⁽⁽ଘ( ˊᵕˋ )ଓ⁾⁾
大感動の越後ojijiです。
この後桜島に入り桜島を一周しました。
佐多岬からここに通じる国道220号線(佐多街道と言うそうです)で桜島入口まできて
さらに島内の国道224号を走り、この後は県道でほぼ海岸沿い(鹿児島湾沿い)で
桜島を一周しました。

この美しさをご覧ください。


日の出前です。朝焼けに映えています。
なんとも美しい光景です。


やっと日の出です。朝日に映える桜島です。





桜島に入りました。眼下に広がる鹿児島湾


島内から見える桜島の様子を時間を追って色々な場所で撮影しました。


桜島は活火山です。噴火によってもたらされた「火山岩」です


いたるところで火山岩を見ることができました。





対岸は鹿児島市です。


鹿児島湾をはさんで対岸は鹿児島市です。
桜島と鹿児島市はフェリー航路で結ばれています。
航路は色々な種類があります。フェリーばかりではなく貨物航路等です。


移動しながら桜島を撮影しています。場所によって見え方が違います。
越後ojijiは感動しながら写真撮影をしていました。


これは「桜島大根」です。
「桜島大根」は鹿児島県の伝統野菜。火山灰地でよく育つとされています。
とても大きな大根で、見た目はカブのようです。
通常で6㎏位までなります。特大の物は30㎏もあるそうです。
越後ojijiは桜島大根を過去に見たことも食べたこともあります。
新潟にも市場経由で売られていることがあります。それで知っていました。
が・・このように植えられている桜島大根を見たのは勿論初めてです。
葉っぱも初めて見ました。
「へぇー」桜島大根ってこんな風に育てられているんだ。と思いました。


白いのは雪ではありませんよ(笑) 桜島大根を保護するビニルシートです。


島内を車ではしっていると、とにかく異文化と思われる光景に遭遇します。
面白い家がありました。そこは民家なのですがとても風変わりで
やはりここは南国なんだな。と思わせる建物でした。※写真を撮り忘れたので画像無し。
またお庭も素晴らしかったです。
そんな建物や景色を眺めている時に白髪のご婦人が不思議そうに
いや!!!怪訝そうに声をかけてくれました。(笑)
その方は横浜出身で旦那様が定年後に夫の故郷のこの地に引っ越してきたそうです。
その面白い建物や立派なお庭の所有者は現在、別のところで生活していて
人は住んでいない。という話や桜島の面白い話をしてくださいました。旅のよい思い出です。
その方がすぐ近くに公共の温泉施設があるので利用すると良い。
と教えたもらったのが「白浜温泉センター」でした。
誰でもが利用できる公共施設です。

白浜温泉センター。


OJIJIも桜島の温泉を楽しみました。
地域の人達が沢山利用していました。
露天風呂などもあり、とても良い思いをしました。


1時間ほど温泉でのんびりした後にまた桜島の様子を撮影。


火口の様子も撮影できました。


途中の峠のようなところで撮影。


また海岸部に降りてきた撮影。


海岸沿いに「国旗日の丸のふるさと」と記された碑がありました。


有名な「島津斉彬」公がここに近代造船所を造り、作った船に日の丸を掲げたそうです。
それが明治の時代になって「国旗」になった。というような歴史上の話が記されていました。






しばし海岸沿いを走り、桜島を後にしました。


越後ojijiにとって二度と来ることが無いだろうという桜島です。
早朝から午前中にかけて時間をたっぷりととって見物しました。
桜島は活火山として貴重な研究対象でもあります。
島内には桜島を研究する施設のありました。勉強になりました。
観光地としての桜島はとても価値があると思いました。

さて桜島を後にして次の目的地に向かいました。

そして何とどんでん返し返しがあったのです。
馬鹿なOJIJIの年より旅は続きます(笑)

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2024年02月08日

山茶花[サザンカ]

 
山茶花の季節もほぼ終わりですね。

12月のこの花の一番盛りの時期に新潟にいないで西日本、九州・四国方面への
大旅行をしていた越後ojijiです。(^o^)/

今年は新潟できれいな山茶花を撮り損ねました。

今の時期は花にも葉にも勢いが無く、きれいな状態の山茶花を探すのが大変です(笑)







越後ojijiは「山茶花」と「椿」の区別がつきません。
ましてやこれから咲くという「雪椿=ユキツバキ」と
山茶花・椿等の区別などつくはずがありません。(笑)
因みに「雪椿」は新潟県の県木です。

図書館に行ったり、ネットで調べたりしました。
雪椿発見の研究成果等も学びました。
しかし、実際に咲いている花をみて区別などつくわけがありません。
専門に育てているか研究をして毎日それを見ているようでなければ
一過性の「知ったかぶり」なのだと思います。(笑)

それでも真っ白な雪に映える山茶花や椿。
存在感は大きいです。

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2024年02月07日

OJIJIの旅-9③


OJIJIの旅-9③
2023年12月12日(火)その③

長い長い旅でした。
日本本土最南端の地「佐多岬」に到着しました。
2023年12月12日(火)午後4時20分でした。(^o^)/

日本国土で言うと東日本・北日本で生まれ育った越後ojijiです。
西国とか南国とかは未知の土地です。
思いつきで旅に出て、今、まさに、未踏の地(大袈裟か?-[笑])まで到着しました。

越後ojijiは最近涙腺が弱くなっています。
感動のあまり、ウルウルしました。
「日本本土最南端」ですよ。
この読者の方々でいったい何人の方がこの地を踏んだのでしょう?

越後ojijiは日本最北端の「宗谷岬」は行ったことがあります。
若いころです。その時の感動がよみがえりました。
終活準備に入らなければならない年齢のOJIJIです(笑)
まさか、生きているうちに日本列島の最北端と最南端の地を訪れることができるなんて。

日本本土最南端の地「佐多岬」






大隅海峡。太平洋です。


大隅海峡。太平洋です


大隅海峡。太平洋です


大隅海峡。太平洋です。感動しまくって大量の写真を撮りました(笑)


公園に「ガジュマル」の巨木がありました。


ガジュマルは「くわ科」の樹です。
実は越後ojijiの部屋にもこのガジュマルがあります。
ミニミニですが「観葉植物」として窓の前に置いてあります。
この地で「ガジュマル」を見て驚きました。こんな巨木になるなんて。
OJIJIのガジュマルは小さいのですが生命力が強く、たまに水を差すだけで
元気に育っています。自分の部屋にあるのと同じ樹が巨木になって存在しているだけでビックリ。

日本本土四極を地図に示しています。
この地図を見ると最北端から最南端まで遠いなぁ~


日本本土最南端の佐多岬から最北端の宗谷岬まで直線で2700㎞だそうです。


佐多岬のマンホールです。


太平洋に日が落ちていきます。


夕日です。


夕日です。


新潟を出てからここまで2500㎞走りました。
ここに着く5分ほど前にこの距離が表示されました。
佐多岬から宗谷岬まで直線で2700㎞だそうですから今回OJIJIが走った距離も
けっこうな距離です。しかし、この距離は新潟から色々なところを回って
さらに道に迷って無駄な距離を沢山走った結果です。(笑)
それよりも午後4時過ぎで外気温18℃を指しています。
真冬です。異次元の体験をしていると思ったOJIJIです。


最南端についたのですが、ここが最終目的地ではありません。
九州の半分まで来たことになります。
今度は九州を北上します。
次の旅記録は「桜島」です。
つづく。

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2024年02月06日

寒い


2024年2月7日(火)

昨夜から雪が降り始め 

今日の午前中まで雪が舞っていました。

寒い!!!!!

雪が舞うような日は「寒い」です(^O^)

雪景色を見ると春はまだ遠いのかな?
と思ってしまいがちだが・・・・

雪の美しい新潟。

JR白新線


たんぼ。雪の下でまだ眠っているようだ。


泰平橋 河川敷公園



阿賀野川をはさんで新潟市北区から東区を遠望。



日本海東北自動車道に沿って


稲わらロールの上にも雪


稲わらロールと農道


お地蔵様


午前中に歯医者。

昨夜から今朝のニュースで東京地方に「大雪警報」が発令された。と聞いた。
積雪8cm位だそうだ。
地域によって警報の出方が違う。
8cmの積雪で大騒ぎをしなければならない首都東京。
道路網がズタズタの様子。
首都高や主要高速道が通行止めになっている。
自然にはどんなことをしてもかなわない。(>_<)

幸い今年の新潟市は少雪のようだ。
立春も過ぎた。まだまだ警戒は怠れないが今後、「ドカ雪」がないことを期待したい。

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2024年02月05日

冬越後野良風景


『冬越後野良風景』
二月のある日の新潟の景色。

冬枯れの越後野良風景


雪が舞っています。冬枯れの野良景色 。遠くに霞む「角田山」


蛇行する川


蛇行する川。この景色が何とも言えず良いのです(笑)
冬枯れの田んぼをうねるように流れる川。農業用水。


どこまでも続く農道。


いたるところで見かけるお地蔵様。


小っちゃなお地蔵様。
真っ赤な小さな祠に安置されています。
寒くないように前扉もついています。
地域の方が大切に大切にして信仰しているのでしょう。
こういうのをみると胸キュン。。。(笑)


冬枯れ


昨秋、晩秋の咲き残り。次の命へのバトンリレー


冬枯れの越後野良風景。。。「ECHIGO良い処」

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2024年02月04日

OJIJIの旅-9②


2023年12月12日(火)
OJIJIの旅9-②です。

風光明媚な日南海岸を日向灘沿いに快適に走ってきました。
国道220号を走り国道448号につながる日向灘沿いの海岸ルート。
天気は薄曇りだったが外気温はなんと20℃を指していた。
良く日の当たるところを走っている時は、目を疑ったのだが25℃を指していた。
真冬ですよ!!!! 驚きました。

途中で休憩したりドリンクタイムを多めにとったりして体調管理をしながらの運転。
車を停めて撮影したかったところは数えきれません。
ちょっとでも目に留まった見たことの無い景色は心をドキドキさせました。
好奇心おおせいの越後ojiji。そして今後の人生で二度と来ることができないであろうところを
見物しながらの旅ですから・・・・

写真撮影していなくても動画撮影をしたところもありました。
カメラは記録写真用と動画撮影用を用意していきました。
九州の海沿いは絶対に動画に収めようと思っていました。

が、越後ojijiは動画編集ができません。
且つ、このブログに動画をあげることもできません。

あの美しい日南海岸の動画を皆様に見ていただきたいという欲求だけが残ります(笑)

串間市まで来ました。宮崎県の最南端です。
国道220号線を走ると志布志湾です。この日の海も穏やかだった。

鹿児島県に入りました(^o^)/  鹿児島県志布志市です。
♬♪は~ばるきたぜ、鹿児島県♪♫OJIJIの脳内です(笑)

ここは大隅半島です。
国道220号から448号に志布志湾沿いに走ると内之浦湾です。

その途中でこんなものを見つけました。ここは鹿児島県「肝付町」です。
日本の国産人工衛星第一号である「おおすみ」の実物大のオブジェです。


少し進むとJAXA(宇宙航空研究開発機構)の施設がありました。
そこは「内之浦宇宙空間観測所」という研究施設でした。
見学無料と書いてあったので見学させてもらいました。

その時は良くわからなかったのですが後で調べたらこの観測所は以下のようなところです。

『内之浦宇宙空間観測所では、科学観測ロケットおよび科学衛星の打ち上げならびに
それらの追跡やデータ取得などの業務を行っています。
起伏の多い地勢の山腹を削って造成された台地に機能的な建物が配置されており、
世界に類のない特色のある観測所となっています。
衛星からの電波の受信、観測ロケットおよび科学衛星の打ち上げ時には、
必要に応じて宇宙科学研究所相模原キャンパスや民間会社からの職員・技術者が派遣されます。
このような先進の体制のもと、1962年の設立以来、大小400機を超えるロケットと、
わが国初の「おおすみ」を含む30機あまりの
人工衛星、探査機を打ち上げ、宇宙科学研究に多大な貢献を果たしています。』

ということが分かった越後ojijiです。(笑)。ただ写真だけは沢山撮影したので
この旅行記に記すことができて幸いでした。
施設の見学は無料で写真撮影も自由でした。
受付を済ませました。
ここは広大な敷地と山を削った施設なので自分の車で移動します。

施設内に入ってすぐに「糸川英夫博士」像(左)がありました。
国産第一号人工衛星「おおすみ」打ち上げ記念碑(右)がありました。

糸川英夫博士は日本の宇宙研究では最大の貢献をした方といっても過言ではないでしょう。
越後ojijiでも名前を知っていました。
糸川博士が日本初のロケットである「ペンシルロケット」の発射実験をしたのが
秋田県の国道7号線沿いの海岸でした。
越後ojijiはそこにも行ったことがあるのです。
宇宙とか人工衛星とかロケットなどの研究施設を見学するのは初めてです。
ドキドキと興味津々で施設見学をしました。

施設の全体図です。


巨大なパラボラアンテナがありました。(驚き!!!)


この案内順に見学しました。


衛星(ほし)ヶ丘展望台から見たロケット発射場。


衛星(ほし)ヶ丘展望台から見た景色。30mパラボラアンテナは大きい。


ロケット発射場


観測用ロケットの実物大模型。


何やら難しい研究と仕事をしているらしい建物(笑)


初めて宇宙研究施設などを見学しました。
写真はいっぱい撮りました。
また色々と説明が書いてある掲示板も良く読みました。
でも越後ojijiには「何のこっちゃら」サッパリわかりませんでした(笑)

内之浦湾です。






ここから遠く望むと向こう側は「種子島」です。
種子島を写真でうまく撮ることができませんでした。
種子島にはJAXAのロケット発射場があります。

しばし、宇宙科学者にでもなった気分でこの研究施設を後にしました。

大隅半島を海岸に沿って走ると最南端の地「佐多岬」に着きます。
そしてそれがここからの最短距離なのですが・・・
地図をみると難しい道だったのでそのルートはやめました。
また道に迷うのが嫌だったからです(爆笑)

そこで国道448号を道なりに進み「錦江町」まで進みそこから国道269号で佐多岬を目指しました。
随分と遠回りのルートです。

OJIJIの旅9‐③につづく。

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2024年02月03日

新潟における「能登半島地震」の被害


2024年1月1日
震度7を記録した「能登半島地震」

新潟市でも大きな被害が出ました。
特に新潟市西区に被害が多く出て生活にも困る状況でした。
今なお、避難所生活の方もいます。

越後ojijiはこの地震後、新潟市の色々なところで被害状況を見てきました。
ブログでは言葉で表現してきましたが、
被害にあった方々の心も落ち着いてきたようなので、
大切な記録として今回は画像でブログアップします。

西区の神社です。
コンクリートの鳥居が倒壊しています。
しめ縄もこんな状態で置いてあるのが何とも生々しいです。


灯篭も倒れました。また墓石が倒れているのも確認しました。


門柱が倒壊しています。大きな立派な門柱です。
鳥居や大きな門柱をも倒す激しい揺れでした。


道路が隆起しています。大きなひび割れもできています。


新潟市は建物被害の調査をほぼ終えました。
黄色は「要注意」ということですが、多分もう住むことはできないでしょう。

※この画像は一部加工しました。個人が特定できないようにと思いました。

災害というのは人生で必ずついてくるもの。
地震災害は日本では当たり前になっています。
でも、地震になんて遭遇したくない。
みんなそう思っていると認識しています。
必ず復旧・復興します。希望だけは失わないようにしたいと思っているOJIJIです(^o^)

☆参考までに新潟市危機管理防災局の公式X(旧ツイッター)です☆
今回の大地震での被害状況等をまとめています。
2月2日午前8時現在
https://t.co/uXolr13mXx
日を追って最新情報が更新されます。

こちらは新潟市のHPから。pdf形式で表示されています。
https://www.city.niigata.lg.jp/kurashi/bosai/240101saigai.files/240203saigaigaiyo.pdf


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Posted by 越後OYAJI at 11:28Comments(0)

2024年02月02日

OJIJIの旅-9①

越後ojijiの旅-9①

2023年12月12日(火)
OJIJIの旅9日目です。
昨日は雨でしたし、道に迷ったりして疲れました(>_<)
そして旅の疲れも出てきています。
OJIJIである私が無理な旅をつづけているのですから当然ですね(笑)
しかし、年齢的に今後2度とくることができないところを経巡っているのです。
楽しくないはずがりません(笑) 若いころから好奇心だけはおおせいですicon06icon06face02face02face02icon06icon06icon06
疲れをあまり気にせず、見慣れない景色にドキドキしながらのドライブ旅です。

良い天気です。
今日も日の出から活動が始まります。
今日の予定では今日中に日本最南端の地「佐多岬」までです。


宿を出てからしばらく行くと道の駅にたどりつきました。
日南海岸国定公園「道の駅フェニックス」です。


こんな建物です。


この南国らしい景色に感動しまくりです。




新潟では目にすることができない景色です。




宮崎市のマンホールの蓋です。


日南海岸です。日向灘沿いです。
昭和40年から昭和50年代の日南海岸は「新婚旅行の聖地」と言われたそうです。
温暖で風光明媚なこの地で「ハネムーン(honeymoon)」を過ごすのは
当時の新婚さんには夢だったのでしょうね。
しかし、その後は新婚旅行と言えば「ハワイ」へと移り
さらに時代を経ると新婚旅行先はグローバルになりました。
一度は見ておきたいと思った日南海岸です(笑)


日南海岸。


日南海岸。こんな奇岩にも出会いました。


こんな奇岩にも出会いました。


日向灘。


ツワブキがきれいでした。
ツワブキはいたるところで咲いていました。
越後ojijiが不思議に思ったのは畑で野菜のように栽培されていた様子です。
こちらでは食文化として食用にしているのかな?


途中で食べた弁当です。
「高菜弁当」です。唐揚げが目立っていますが高菜が敷き詰められています。
せっかく九州まで来たのだから「高菜」かな、などと思って買って食べました。


風光明媚な日向灘沿いを気持ちよくドライブして次のところ目指しました。
本日中に日本最南端の「佐多岬」に着く予定です。

越後ojijiの旅-9②につづく。

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