2024年01月31日

夕焼け‐2024年1月31日


2024年1月31日(水)

本日の夕日です。








夕日は「昭和大橋」で撮影

本日は良い天気でした。
午後から写真撮影。
日和山に行き、海岸と好天に恵まれた新潟の街並みと遠くの越後連山等を撮影
そして昭和大橋で夕日の撮影をしました。
夕日はとても美しかった(^o^)


日和山展望台で撮影した遠望。







本日の記録
2024年1月31日
日の出 06時50分
日の入 17時05分。
最低気温 07℃
最高気温 13.46℃

さわやかな一日でした(^o^)

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2024年01月31日

気持ちの良い天気(^o^)


2024年1月31日

1月も今日で終わり。
2024年1月1日午後4時10分。
大地震がおきた。
大被害が出た。
震度7という巨大地震。
いまでも被災地は何も変わらず被災者はつらい思いをしている。
震源地の能登半島だけが被災地ではない。
新潟市でも「液状化現象」がおき、大被害がでた。
今月はこんな大災害から始まった。記憶に残る年の初めとなってしまった。

でも不思議なもので、被災地でも時が経つとみんな慣れてくる。
現実を受け止め、その現実に馴化している。

政府も行政も民間もみんなでできることを一生懸命している。
特に警察・消防関係・自衛隊・医療関係。
日本という国は素晴らしい。誰かが誰かの為にできることを一生懸命にやる。
消防や警察、医療関係者には自分も被災者なのにそれを思わせないように
役割を果たしている。仕事としてやっているだけではなく、使命として命をかけている。
そんな色々な人の姿をみていると自分の弱さが何とも情けなくなる。

大災害から始まった今年だが、
「災い転じて福と成す」と言う年になることを信じている越後ojijiです。

2024年1月30日(火)
とても良い天気だった。
先週すこし天気がぐずついたので
越後ojijiは久しぶりに「良いてんきだなぁ(^O^)」と思ったものでした。





どこまでも続く農道。この景色が大好きです。


新潟市東区の「三徳稲荷」です。




お稲荷さんは「真っ赤」がとても象徴的です。
各地でこの光景をみることができますが、
この日は良い天気とうまく合っていました。


お昼に食べたラーメン。
新潟あっさりラーメンです。


今日も薄曇りの天気で時々陽が差しています。

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Posted by 越後OYAJI at 11:19Comments(0)

2024年01月30日

OJIJIの旅-8

2023年12月11日(月)

越後ojijiの旅も1週間経ちました。
12月4日(月)に新潟を出たので丁度1週間です。

なんとこの日は朝から雨でした。
この1週間連日好天でした。
西日本ですから新潟と比べると気温も随分高く
「冬装束」で出かけた越後ojijiには時に「暑い」と思った日もありました。
久しぶりの雨の朝です。
毎日日の出の写真から始まるこの旅行記も本日は雨の様子からです。

そして越後ojijiの旅8日目は大変な日でした。
何と、道を間違えて同じ所を何度も走ってしまったのです。
距離的には100㎞以上200㎞未満くらいのロスをしたと思います。(笑)。
琵琶湖を一周すると200㎞以上あります。
それくらいの距離のロスをしてしまいました。(笑)
九州という未知の土地で道路標識と地図だけが頼りです。
そしてなるべく海岸沿いで九州らしい景色のところを通って写真と心に
その様子を焼き付けたかったのです。
結局、色んなところで道に迷い、距離だけは走ったのですが、
1日を有効に使うことができませんでした。
でも結果からいうと翌日に日本最南端の「佐多岬」まで行ったのですが
翌日は好天でした。日本最南端の地の写真もいっぱい撮れました。
もし今日、道を間違えたり無駄な時間の使い方をしなければ本日中に
「佐多岬」に着いたかもしれません。雨もしくは曇天のそれよりも
今日ミスをしていた方がよかったのです(^o^)

さて本日は雨です。
いつもは日の出の写真から始まるのですが本日は雨の様子から
2023年12月11日7時15分


ここはまだ大分県内です。
海岸沿いに走ると豊後水道に面しています。
対岸は四国の西端です。
そして「関あじ」「関さば」で有名な「佐賀関」のあたりです。
国道197号線で大分県大分市の「佐賀関港」に向かいました。
「佐賀関港」と四国の愛媛県「三崎港」はフェリーで結ばれています。
随分と昔の話ですが越後ojijiが初めて四国に行った時にこのフェリーを
利用して四国から九州へ渡りました。
その時が四国・九州の初めての旅でした。
今日、ここを通ったのですが雨で霞んでいて何もわかりませんでした。
国道197号から国道217号へと走りその後いったん国道10号と合流しました。

大分県の民話で有名なのは「きっちょむ」さんです。
頓智話で有名な「吉四六さん」
大分県中南部で伝承されている民話の主人公です。
雨でしたが途中でこんなのを見つけました。
きっちょむばなしです。


途中の民家です。
古いブリキ製の商用看板。懐かしいものもありました。




さて雨の中を走りました。
大分県を離れて「宮崎県」まで来ました。
宮崎県延岡市での撮影です。
ああ、宮崎県まで来たな。と感慨深げな越後ojijiでした。

ところがここらへんでおかしくなってしまいました。
雨だったのですが海岸のほうを見たいと思って主要国道を離れて県道を選びました。
県道を走っていたのですが・・・・
結局どこを走っているのか分からなくなりました。
どうにか「日向灘」に沿った道を走っている事だけはわかったのですが・・・
なんと宮崎県から大分県に戻っていたのです。
宮崎県内を走っていたと思っていたのですが(笑)
それに気が付くまでに4~5時間位かかりました。

そして今でも恐ろしかったのを記憶していますが
道を間違えてしまったが故に国道なんですがその国道の「旧道」に
迷い込んでしまったのです。この道に入ってから「道幅」が狭いので車同士での
すれ違いができない。と表示されていました。
大型車は通れない。とも書いてありました。
それでも国道です。行けばどうにかなるだろう。。。と高を括っていました。
そこはとんでもない道路でした。引き返すこともできず。前に進むしかなかったのです。
対向車が来ないことだけを祈りながら、クラクションを鳴らしながら走りました。
雨です。道幅は狭く、道路の右側が断崖絶壁になっているようなところもありました。
ひやひやしながらどうにか通り抜けました。どれくらいの距離があったのかはわかりません。
時速10キロくらいの低スピードで慎重に慎重に走り抜けました。
そしてこの恐ろしい道路から少し安全なところに着いて分かったのですが
この道路は旧道で現在はほとんど使われていないだそうです。
現在はなんとバイパスが整備されていて地域の方々はそれを利用しいてるだそうです。
そして右と左に標識がありました。越後ojijiはそこでも間違えてしまってまた大分県に
戻ってしまいました。でも日向灘沿いの海岸の景色も美しく、雨も少しずつ曇りに
なっていき、無駄な時間では無かったのだと思います(笑)

さも大事件だったように書きましたが、実は今回の旅行では何度もこんなことがありました。
OJIJIらしいと思ってください。(笑)(笑)(笑)

雨でした。日向灘沿いの小さな湾に面した漁港です。


日向灘沿いです。


途中で買って食べた弁当です。「さば弁当」です。
関東では「鮭弁当」が主流なのでしょうけど日向灘に面して有名な「佐賀関」
にも近いような地域では「鯖」がメインになるのでしょうかね?
このお弁当屋さんは個人経営らしく、ずいぶんと年老いた女性3人で切り盛りしていました。
このあたりは鯖が美味しいのでしょう?などと話しかけて少し雑談しました。
この時は外は土砂降りだったからです。私が新潟から来たというと車のナンバーを見て
「あっ!!ホントに新潟だ」なんて驚いてくれました。さらにご飯を大盛りにしてくれて
さらに唐揚げをサービスしてくれました。
この辺では人気の弁当店らしく、大雨でしたが車の中で待機して弁当を買っている人達がいました。


日向灘沿いです。
九州の沿岸は「リアス式海岸」が多く、小さな湾になっているところが多かったです。


雨で霞んでよくわからないと思いますが「養殖筏」がたくさん浮いています。
この辺は「真鯛」の養殖が盛んなところです。



日向灘沿いです。公園なのですが雨で霞んでいます。


なんと大分県佐伯市まで戻りました。
そこで気がつきました。
わからないのに変な道を選ぶとこういうことになる。
という教訓だったのかもしれません。
そしてまた先に走った道を戻って宮崎県に入りました。(;^ω^) (冷汗)(冷汗)(冷汗)
今度は何のためらいもなく主要国道の国道10号線を走りました。

全国チェーンのパスタ屋でパスタを食べました。
この全国チェーンは新潟にもあるのですが利用したことがありませんでした。
今回国道沿いにあったので初めて利用しました。
イワシを使ったパスタです。


国道を走り、途中のスーパーマーケットで買い物をしたりして
早めに宿を探し、そこで休みました。

明日は宮崎県から鹿児島県です。
日本最南端まで行きます。
つづく。

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2024年01月28日

OJIJIの旅-7②

2023年12月10日(日)②

周防灘のステキな景色を眺めながら運転を続けました。

大分県豊後高田市に着きました。
「豊前」「豊後」などと町の名前につくと「越前」「越中」「越後」をつい連想してしまいました(笑)
ましてやこの豊後高田市は「高田市」です。新潟県上越市高田は元々「高田市」でした。
豊後高田市にある小学校は「高田小学校」高等学校は「高田高校」です。
なんとなく馴染みがありこのまちで数時間、時間を過ごしました。

豊後高田市は昭和30年代の商店街をイメージした街づくりをしています。
実際には8つの商店街がまるで昭和時代にタイムスリップしたかのように張り巡らされています。
それは観光用であり、且つ実際の生活にそのまま使われている生きた商店街でした。
面白くて越後ojijiは3時間ほどここの街を歩き回りました。(笑)。

「ようこそ、昭和の街へ」イメージキャラクターの男女の子供像です。


こんな商店街が8つも繋がっているのです。


観光用ですがレトロなボンネットバスが街中を走っています。懐かしいなぁ(笑)


お店の看板です。ほとんどのお店がこのような看板を掲げています。
何となくレトロですよね(^o^)



越後oyajiが子供の頃は街のお店はみんなこんな感じでした。




とある博物館に入りました。
この昭和の町には「博物館」的な施設がいくつかあります。
この建物は元銀行だった建物で元銀行らしく懐かしい紙幣などの展示がありました。
またお金にまつわるクイズなどもあり「昔懐かしいなぁ」と思ってしまいました。
これ以外にも数か所の施設を見学しました。

この博物館には昭和の色々な「昭和遺産」を展示しているのですが。
越後oyajiが一番面白いと思ったのがこのコンピューターです。
コンピューターの初期の時代のものだと思います。
「キヤノン製」です。上にのっているのは「プリンター」だと思います。
ガタイは大きいのですが昭和50年代頃の物だと思います。
現代だと考えられないほど大きいですが当時では最先端のものだったのでしょう。
この隣にタイプライターが展示されていました。まだタイプライターも活躍していた時代なのでしょう。


こんなところも見物しました。



豊後高田の見物を終えて国道213号線で「国東半島」を一周しました。
国東半島は周防灘から伊予灘にかけて突き出ている半島です。
当日は天気がよく、越後oyajiは九州の美しい海岸と海岸沿いの観光スポットを楽しみながら
快適な車旅をつづけました。
ここは豊後高田市の中心部から続く「恋叶ロード」といわれる海岸道です。
真玉海岸に着きました。とってもステキな「干潟」です。
越後oyajiはこんなきれいな干潟をみたのは初めてでした。ここでも感動しまくり(笑)
九州の干潟と言えば「ムツゴロウ」を連想しました。ここにも珍魚ムツゴロウが生息しているのかな?
さらに真玉海岸(干潟)は夕日の美しいところだそうで、その夕日をねらって多くのカメラマンが
全国からあつまってくるそうです。


国東半島では周防灘と伊予灘に面していくつかの「道の駅」がありました。
そんなスポットで休憩したり食事をしたりしながら安全運転を心がけながら
旅をつづけました。

ナツメの実を見つけました。ナツメ(棗)の実は越後oyajiの近所の畑にもありました。
しかし、その畑は現在「駐車場」になってしまいました。
ナツメの実は新潟では秋の初め頃には落ちてしまいます。
いくら暖かいといっても真冬です。
ここでナツメの実をみるとは思いませんでした(笑)


国東半島をほぽ一周して「別府湾」に近づいた頃に陽が陰り始めました。
本日の夕日の始まりです。

別府湾で16時50分


別府湾で17時10分。



別府市を目指しました。
別府温泉も今回の旅の目的地です。
大分県は温泉県です。別府市はその中でも突出した温泉観光の街です。
どうしても別府温泉に入りたい。別府温泉で旅気分を味わいたい。
そう思っていた越後oyajiでした。
別府のようないたるところに温泉のある街では公衆浴場が温泉だったりします。
市民が日常的に使う温泉はそういうところが多いです。
そこで越後oyajiもそんなところが無いか探しました。
また、毎日のように使っているビジネスホテルが無いかと探しました。
しかし、温泉ホテルで街の経営をしているようなところです。
越後oyajiの思い通りのところには行きつけませんでした。
計画的に行動しているのではないのでこういうことが良くあります(涙)

陽が落ちると暗くなるのは早いです。
別府温泉での宿泊を諦めました。

別府温泉街の夜景を撮影しました。


別府温泉街の夜景です。


別府温泉街の夜景です。


2023年12月10日19時半頃です。
新潟市から1890㌔走りました。
ここはまだ大分県内です。
そして19時半頃の外気温です。15℃を指しています。暖かいです。


別府市から大分市を過ぎて「九州豚骨ラーメン」を食べました。


その後、宿を探したのですがビジネスホテルや格安旅館等が見つかりません。
そして外気温は15℃前後です。
暖かいのです。そこで今夜は宿は諦めて車中泊をすることにしました。
毛布をかぶって寝たのですが全然寒さなどは感じませんでした。

明日は宮崎県です。
つづく。

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2024年01月27日

OJIJIの旅-7①

2023年12月10日(日)

今日は「大分県内」です。
昼間時間を有効に使う為にまた日の出とともに活動に入ります。

日の出少し前から動き出して「道の駅豊前おこしかけ」というところに着き
日の出になったので撮影。
2023年12月10日(日) 7時18分。
ここは「大分県豊前市」です。
周防灘に面しています。
本日も晴天でとても良いドライブ日和です。


豊前市から周防灘沿いに車を走らせて
大分県宇佐市まで着きました。朝早くです。
ここに希代の大横綱「双葉山」を顕彰する記念館がありました。


令和になってもまだ破られていない大相撲の連勝記録「69連勝」を
成しどけた昭和の名横綱「双葉山」
双葉山はこの地に生まれ、東京に出て力士になり、横綱を張り「69連勝」という
とんでもない記録を打ち立てた人です。
生家を含めてこの場所を記念館として公開しています。

双葉山は69連勝を成しとげました。
あの名横綱として令和まで活躍した「横綱白鵬」でさえ63連勝でした。


超60連勝という記念碑です。
双葉山は69連勝。白鳳は63連勝。などと刻まれています(左)
横綱双葉山像です(右)

越後ojijiが記念館を見学しているとボランティアで記念館の維持をしているという
シルバーグレイのステキな御髪の女性が声をかけてくれました。
私が新潟から来たことなどを告げると親切に色々と説明してくださいました。
女性は70歳を過ぎていて、教師を退職してご主人を亡くされたので故郷に戻り
ここでボランティアをしているのだそうです。
この地の魅力を思いを込めて語ってくださいました。
「ふるさと」っていいんですね(^o^)
30分ほどで見学してつぎに進もうと思っていたのですが
熱心に語る姿に魅了されて1時間以上もここを見学していました(笑)

暖かい九州です。ミカン畑が広がっていました(左)。
農道です。こんな景色が大好きです(右)。


途中でこんなお地蔵様に出会いました。
いつも感心するのですが、地域の方々がこういう地蔵像を大切にしています。


周防灘です。


瀬戸内海に面して穏やかな周防灘です。


海岸に「珊瑚」でしょうか?打ち上げられていました。
越後ojijiが新潟海岸で経験したことが無い景色がいっぱい広がっていました。


とても天気がよく快適なドライブ旅が続きます。
この後に「豊後高田市」で昭和をイメージした街に出会いました。

次につづきます。

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2024年01月26日

定点観察-2024年1月26(金)


2024年1月26日(金)

1月も末になってきました。
時のたつのがとても早いなぁ~と思っている越後ojijiです。(^o^)。

昨日一昨日と全国的には大雪でした。
海岸部の新潟市中央区はほとんど積雪がありませんでした。
それにしてもいつも思うのは「能登半島大地震」の被災地と被災者のこと。
一瞬で何もかもを失った上にこの寒さ。。。
皆さんの思いはきっと「神も仏もないのか!!!!」だと思います。
何故?私達にこんな試練を与えるのだろう。
悲しくてつらくて絶望以外になにも無いところにさらに追い打ちをかけるように
・・・・この寒さや雪・・・・。
越後ojijiも同じ思いです。
越後ojijiは今回の大地震でも何の被害を受けませんでした。
だから実際の被災者の方々と同じ気持ちにはなれません。
今、越後ojijiにできることは祈ること。
絶望とは真反対の「希望」にむけて祈ること。被災者の方々が諦めないこと。
希望をもてること。希望につながる思いになれること。
どうか、どうか新潟の被災者も含めて全ての被災者の方々が希望を持ち続けられますように(^O^)

春が近づいています。
12月の冬至を境に日が少しずつ長くなっています。
また太陽の力が戻ってきているように感じます。

近所の定点観察している「ネコヤナギ」「白梅」「乙女椿」「ふきのとう」の様子です。

ネコヤナギの花芽です。




「白梅」の花芽です。


「白梅の花芽」この梅の木は白い花を咲かせます。そして大きな梅の実をつけます。


乙女椿の花芽がいっぱいついています。
花も咲きましたが寒いせいかきれいな色に咲いていません。
これからドンドン咲いてきたらきれいな薄ピンクの花を写真に撮り
このブログにアップできると思います。⁽⁽ଘ( ˊᵕˋ )ଓ⁾⁾


「ふきのとう」も寒い中で芽を出しています。


日ごとに陽が長くなっていきます。
希望の春に近づいています。

昨日からまた歯科治療が始まりました。
年齢を重ねると虫歯も多くなります。

本日は大事な大事な研修会のある日。
社会的正義とは? そんなことの具体的な事例を学んできます。

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Posted by 越後OYAJI at 11:49Comments(0)

2024年01月23日

OJIJIの旅-6②

2023年12月9日(土)

12時12分。
遂に九州に入りました。
12月4日(月)午前8時40分に新潟市の自宅を出発してから5日かかって
九州まで来ました。感慨深いものがありました。

福岡県北九州市です。


関門トンネルの通行料は110円でした。
以前関門トンネルを通った時に大型貨物車に「あおられ」ました。
その当時はまだ「あおり運転」への罰則が無く、運転手にしても軽自動車なぞは
迷惑なそんざいだったのでしょうね(笑)
関門トンネルは10分ほどで通り抜けました。


関門トンネルを抜けると北九州市です。
今回は九州を瀬戸内海よりに福岡県~大分県~宮崎県~鹿児島県と回るつもりです。
しかし、道路事情に疎い越後ojijiは反対側の福岡市に通ずる国道3号線を走っていました。
それに気が付くまでに約30分~40分かかりました。
どうも思っていた道じゃないぞ・・と気が付き元に戻りました。
持参した地図と道路標識で確認して北九州市門司区まで戻りました(笑)

国道199号線を通って門司区に戻る途中で「ニッカウヰスキー門司工場」に出あいました。
赤倉庫群です。
現在でもウイスキーの製造をしているそうです。
この日は天気は快晴。気温も高く、快適な日でした。
歴史遺産として整備されていて且つ現役の工場ということで
思わず沢山の写真を撮りました。


ソテツの木でしょうか?南国らしい並木に思わず感動したりして(^o^)


花壇では色々な花が華々しく咲いていました。


この花は「ホトケノザ」という花です。
新潟では4月か5月に咲く花です。
まさかこの真冬に「仏の座」がさいているなんて・・
びっくり仰天でした。植生が違ったり、花の咲く季節が違ったりとで感動したり
びっくりしたりの繰り返しでした。
右上の花壇の脇で咲いていました。


県道沿いに瀬戸内海側を目指してなるべく海岸沿いを通るルートを探しました。
単純に国道10号線を走れば鹿児島県まで着くのですが、それだとここまで来た甲斐がありません。
風光明媚な九州の海岸沿いを見たかっのです。
色々と道に迷いながらも大分県を目指しました。

九州に入っての最初の食事です。
九州うどんです。
これを食べるのも今回の目的でした。
よく九州出身の芸人さん達が「うどんにはコシなどいらん」
九州のうどんは柔らかくて噛まなくても食べられる。
それこそが「うどん」なのだ。などと言っているのを何度も聞いていて
それを確認したかっのです。
自家製麺を謳ううどん食堂のかけうどんです。

このうどんを食べてみて特別な感覚にはなりませんでした。
いつも新潟で食べている普通のうどんと同じでした。
特別に柔らかくもなく、「コシ」などというものを問題視するようなものではありませんでした。
越後ojijiは研究的に食事をするときはそのお店の最も基本的な商品を食べます。
ですから今回も基本的な商品である「かけうどん」です。ネギだけが入っていました。
お出汁も普通でした。特別にカツオが効いているとかそんなものではなく
塩分も普段新潟でたべているのとほぼ同じでした。

かけうどん一杯ではお腹いっぱいになるはずがありません。
少し移動してから九州名物の「チキン南蛮」定食を食べました。
九州名物の「チキン南蛮」は甘いです。
鶏肉を揚げてから「南蛮酢」に軽く漬けます。まずその南蛮酢がとても甘いのです。
そしてタルタルソースです。それもとても甘いのです。
甘い味が大好きな越後ojijiはとても満足しました。
九州の食。サイコー!!!!


これでお腹が落ち着きました(笑)
すこし休憩してから仮眠をとり大分県を目指しました。
初めての道を走っています。景色が珍しくて運転しながら景色に見とれていました。
やはり九州は文化がずいぶんと違うなぁ~ などと思いながらの運転でした。

何時間運転したのでしょう。陽がすっかり落ちて真っ暗になっていました。
途中できれいなイルミネーションに出会いました。
クリスマスイルミネーションです。
どうやらここは病院と介護施設が併設されているところのようです。
患者さんや高齢者の方々に楽しんでもらうのを目的に敷設したイルミネーションのようでした。






さて本日最後の食事です。
また九州うどんです。
ここも検証しましたが特別柔らかなんかではありませんでした。
ここはセルフうどんの店でした。
ネギや揚げ玉は自由に入れて良いタイプのみせです。


セルフで薬味や揚げ玉を入れます。右の写真のようにして頂きました(^o^)


夜になりました。国道沿いのビジネスホテルで一夜を過ごしました。
明日は大分県です。
どんな景色に出会うのだろう(^O^)

旅はつづく。

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2024年01月23日

OJIJIの旅-6①

2023年12月9日(土)

OJIJIの旅6日目は山口県内から始まります。

この時期は一年中で一番昼間時間の短い時期です。
昼間に行動しなければ夜の暗い時間の方がはるかに長いので
OJIJI的な旅行では昼間時間を最大限活用しなければなりません。

ということで本日も日の出時間から行動です。
本日はまず山口県の「秋吉台・秋芳洞」を目指しました。
カルスト台地と呼ばれる独特の地形を見たいものだと思いました。

2023年12月9日(土) 7時30分 日の出です。


読者の皆さん。このガードレール変だと思いませんか?
「黄色」なんです。ガードレールは普通は「白」です。
なんと山口県内のガードレールは「黄色」なのです。
とても違和感を覚えました。
いつもとあまりにも違う光景を目の当たりにするとOJIJIの脳は混乱してしまったのです(笑)



この日もとても良い天気でした。
こんな美しい景色を眺めながら「秋吉台・秋芳洞」を目指しました。
この画像の脇に「キンカン」が稔っていました。


こんなお地蔵様に出会いました。


カルスト台地というのは「石灰岩」が溶けたり、風化してできた独特の地形です。
秋芳洞まで行く途中でカルスト台地に出会うものと思って車を走らせました。
しかし、行けども行けどもそんなところは眼に入ってきませんでした。
こんな石灰岩の不思議な光景を見ることができると期待していたのですが・・・


秋芳洞に着きました。
秋芳洞は「鍾乳洞」です。


この先が鍾乳洞です。


秋芳洞の内部です。





越後ojijiが中学生の時に生まれ在所にあった「鍾乳洞」探検をしたことがあります。
友人3人と当時の中学の理科の先生と4人で探検をしたのです。
とても貴重な経験をしました。
しかし、今回秋芳洞で見た光景は過去の経験とは全く違うものでした。
驚きの光景が広がっていました。
不思議な感覚にとらわれながら見学しました。


秋芳洞を見学してからまた国道2号線に戻りました。
やはり長い距離を走りました。

山口県下関市に着きました。
国道沿いに「日清食品下関工場」がありました。


下関市から北九州市門司区までは「関門トンネル」です。
12月4日(月)の朝早くに新潟を出発してやっと九州につながるところまで来ました。

次はいよいよ九州入りです。
つづく

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2024年01月21日

味噌ラーメン


2024年の二杯目の「味噌ラーメン」です。

この味噌ラーメンは500円です。
野菜はたっぷりですし、麺は普通ラーメンの1.5倍くらいの量でした。
味は極々シンプルな味噌味です。
叉焼は別料金で2枚100円でした。
ということでこの味噌ラーメンは600円でした。
最高のコストパフォーマンスです。
ラーメン専門店では無く、普通の食堂という感じのお店でした。
感動したので近々またお邪魔しようと思いました。

味噌ラーメン


完食しました。
越後ojijiはOJIJIなので完食するのに30分以上かかりました。(笑)。


美味しいラーメンで満腹になり、少し休憩して、買い物などをして、
「弥彦山」を撮影しました。この日は薄曇りでした。


山頂の雪はあまり多くないようです。


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Posted by 越後OYAJI at 11:49Comments(0)

2024年01月20日

OJIJIの旅-5③

2023年12月8日(金)

広島の平和公園を後にして国道2号線を走りました。
途中で何度も休憩をしました。仮眠もとりました。
高齢OJIJIが軽自動を伴の旅行をしているのですから、事故を起こしたり
事故に巻き込まれたりしたら大変なことになります。
ですからゆっくりと安全に。。。これを心がけました。
大阪から山口県下関市までの山陽道は長い。
走れども走れども国道は続きます。
広島市から一体何kmはしったのでしょう? 陽がすっかり落ちて真っ暗です。

道路標識で「錦帯橋」の文字が見えました。
「錦帯橋」に来るのも今回の目的の一つでした。
この時間だときっとライトアップされているだろう。と思い錦帯橋に向かいました。

おもった通りでした!!!(^o^)

ライトアップされた「錦帯橋」です。


色々な光線でライトアップしていました。


ライトアップされた錦帯橋。






橋の上から撮影。きれいなアーチ型がよりはっきりとします。




岩国市のマンホールの蓋です。
錦帯橋や岩国城、鵜飼いなど盛り沢山です。


ライトアップされた錦帯橋はとても美しかった。
色々な光線を繰り返し当てていました。
その中でこの色は名勝「錦帯橋」にはふさわしくないのでは?
と思われる色もありました。
世界中から観光客が訪れる日本の宝です。
せっかくのライトアップ。荘厳な雰囲気を醸し出せる演出であって欲しかった。

錦帯橋の美しさの秘密は以前NHKの「ぶらタモリ」で錦帯橋を取り上げたときに
解説していたのを思い出しました。日本の技術力というのはすごいなぁと感心したのを記憶しています。
今回の錦帯橋は夜でしたが九州を一周して帰りに同じ道を通ったので昼間の錦帯橋も撮影しています。
それも楽しみにしてください(^o^)

さて錦帯橋をあとにしてひたすら車を走らせました。
国道2号線の山間(やまあい)に突然、こんな景色が飛び込んできました。
えっ!!!!
驚いて思わずブレーキを踏んだくらいです(笑)


何だここは???


車を駐車場に止めて。初めてここがなんであるかがわかりました。
ここは全国的に有名なレストランでした。
この一帯に3種類の飲食店を展開しているそうです。
「ど派手な看板」は勿論お客の目を引き付けるのが目的なのでしょうけど。。。
それにしても驚く演出です。
OJIJIは思い出しました。ずいぶんと前の話ですがテレビの「秘密のケンミンショー」で
取り上げられていたレストランでした。
あのテレビで見た飲食店が自分の目の前にある。
何だか不思議な感覚になりました(笑)


「かまど」というレストランに入りここの名物料理をいただきました。


「山賊焼き」」です。鶏モモ肉をてりやきにしたものです。
美味しかったです。鶏肉は決して銘柄鶏なぞではないでしょう。
普通のブロイラーだと思いますが、炭火で焼きあげているらしく、柔らかで美味かった。
タレも甘めでこの鶏肉とマッチしていました。人気が出るのも頷けます(^o^)


山賊おにぎりです。でっかいおにぎりです。具はタラコ・昆布・鮭その他が入っていました。
海苔も良いものを使っているようです。安い海苔だと噛み切れないときがあります。
これだけ大きなおにぎりにかぶりついても楽に食べることができました。


いやぁ!驚きの食事でした。大満足しました。

瀬戸内海沿岸。広島平和公園。錦帯橋。そしてこのレストラン。
盛りだくさんの一日でした。

山賊レストランを後にして、市街地に行って安ビジネス旅館を見つけたので今夜はそこで・・・

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2024年01月19日

OJIJIの旅-5②

2023年12月8日(金)

13時30分に広島市の「平和公園」に到着しました。

平和公園を訪れたのは今回で3回目です。
過去2回ではしっかり見学もできませんでした。
勿論写真もしっかりと撮っていませんでした。
今回は画像と動画をしっかりと撮りました。
記憶にしっかりと留めました。

12月8日。
この日は日本が真珠湾を奇襲して「太平洋戦争」を始めた日です。
偶然でした。そんな日にここにいるなんて・・・・
そしてその愚かな戦争に対する判断のミスが4年後のこの広島の惨禍につながったのですから。

原爆ドーム






ドームの内部です。当時のままで保存されています。







原爆の子の像


原爆の子の像(この像のモデルになったのは佐々木偵子さんです)


これはぼくらの叫びです。
これは私たちの祈りです。
世界に平和を
きずくための。


原爆死没者慰霊碑


安らかに眠ってください。
過ちは
繰り返しませぬから。


平和について考えさせられる「平和公園」の時でした。
平和は作り出すものです。誰かが与えてくれるものではありません。
努力に努力を重ねて作りだすのが平和という状態です。
人類に与えられた最大の使命が「世界に平和を構築すること」だと思っています。
多くを書くつもりはありません。世界中で起こっている理不尽な平和に反する行為です。
越後ojijiは繰り返し繰り返しこのブログで「平和を希求」しようと呼び掛けています。
私自身の問題として・・・・

この数日後には長崎の平和公園にいました。
原爆の惨禍は二度とあってはならないことです。

平和公園の隣に広島城があります。
ここもゆっくりと見学しました。


この日は山口県まで行きました。
岩国市でライトアップされた「錦帯橋」を撮影しました。
また驚きの食にも出会いました。

12月8日のその③につづく。

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2024年01月19日

OJIJIの旅-5①

2023年12月8日(金)

OJIJIの旅は5日目です。

岡山県から広島県に入りました。

瀬戸内海は穏やかでした。
最高の凪で、この日は気温も高く、冬装束のOJIJIは「暑い」と思ったほどです。
瀬戸内海気候と言う言葉を思い起こしました。
瀬戸内海をゆっくりと眺めたのも初めてです。
気持ち良かったなぁ(^O^)(笑)



見て下さい。この澄んだ海。いたるところでこういう光景を目にしました。






養殖筏など色々と見ながら瀬戸内沿岸を運転していました。

次は広島市です。

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2024年01月18日

二王子岳


2024年1月17日(水)

新発田方面を車で走り回りました。
聖籠町、新発田市内、少し外れて胎内市方向、阿賀野市方向・・・
どこからでも「二王子岳」がくっきりと目に飛び込んできました。
真冬で空気が澄んでいるので稜線がハッキリしていたのだと思いますし
二王子岳の雪の感じと周りの山々とのコントラストもとても鮮やかでした。









カメラに映るのはレンズがとらえることができる範囲です。
しかしOJIJIは山を中心として全体を見ています。
山は動きませんが、光の加減は変わりますし、山の周りの様子はどんどん変わります。
OJIJIが感動して見ているうちにも周りの様子は変化します。
その一瞬をとらえるのがカメラです。
カメラを趣味にしている者にとっての喜びの時です。

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Posted by 越後OYAJI at 18:33Comments(0)

2024年01月18日

とても良い天気でした(^o^)-2024年1月17日


2024年1月17日(水)

とても良い天気でした。
自動車で出かけたのですが外に出ても寒さを感じませんでした。
車の暖房を切った位でした・・・・

新発田方面に行ってきました。
この時期は雪と田舎風景とがうまくマッチしてとても良い表情を見せてくれるのが新発田なのです。

この日はまず新潟市松浜地区にある墓所で「お墓参り」をしました。

良い天気に誘われるままに新発田方面を目指しました。
気持ちの良い日でした⁽⁽ଘ( ˊᵕˋ )ଓ⁾⁾



途中で白鳥に出会いました。




飛んでいる白鳥です。コンパクトデジカメで撮影しています。
それも古いカメラです。せっかくのシャッターチャンスを生かすことができません。
ギリギリで撮影した飛ぶ白鳥の姿です。
OJIJIは良いカメラが欲し~い。と思っています(>_<)


新潟近郷を車で走るといたるところでお地蔵さまに出会えます。
どのお地蔵様も大切にされていて、地域の方々がしっかりと面倒をみているのだなぁ。。。
といつも感心しながら写真におさめています。


昼食に食べたのが「くるまやラーメン」の味噌ラーメンです。
このお店はラーメンを注文すると「餃子とライス」が無料でついてきます。
ライスは2杯まで無料です。OJIJIは大食いですが、最近は大食いも細くなっています。
おかわりまではできませんでした。満腹になりました(^o^)


新発田地区の色々ところを回りました。
良い天気だったのでどこに行っても美しいところばかりでした。
新発田はよいところです。

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Posted by 越後OYAJI at 10:07Comments(0)

2024年01月15日

OJIJIの旅-4②

姫路城を後にして童謡「あかとんぼ」の郷、兵庫県「たつの市」をめざしました。

兵庫県たつの市は童謡「♫♪ゆうやけ、こやけの赤とんぼ♫」を作詞した「三木露風」の生誕地です。
そして越後ojijiの大好きな映画「男はつらいよ夕焼け小焼け」の舞台になった街です。
歴史が古く、龍野藩五万三千石の城下町であり
全国的に有名な「ヒガシマル醤油」のあるところであり、そうめんの「揖保乃糸」は大ブランドです。

三木露風はこんな夕日を見て育ったのだろうか?


「あかとんぼ」の歌碑がありました。




たつの市のマンホールの蓋です。これも「赤とんぼ」をイメージしています。


映画「男はつらいよ『寅次郎夕焼け小焼け』の撮影地でもあります。
映画『寅次郎夕焼け小焼け』はシリーズ17作目の作品です。
山田洋二監督。渥美清・倍賞千恵子・宇野重吉・太地喜和子などが重要な出演者でした。
昭和51年(1976年)公開です。


ロケ地になった場所です。


映画でたつの市の観光課長(桜井センリ)が
『ここから見た「けいろうざん」が一番美しゅうと言われています』というセリフを言ったところです。
「けいろうざん」とは「鶏籠山」のことであることを今回初めて知りました。
流れている川は「揖保川」です。


映画のロケでは古い城下町である「龍野」の歴史的景観が随所に出てきます。
そんなところに出会いたいと思い、街中を車で走りました。
事前に調べていて来たのではないので、結局、それらしきところには出会えませんでした。
現在は伝統的建造物保存地区としてたつの市のいつくかの場所が指定されているそうです。
「赤とんぼ」と「男はつらいよ」の街、たつの市は訪れるつもりでした。
しかし、事前になにも調べていなかったのでちょっと残念な気になりました。
まっ!こんなこともこういう自由な旅の醍醐味でもあります(笑)

「♪♫ゆうやけ、こやけのあんとんぼ~♬♫」


「♬♪負われて見たのはいつの日か~♬♬」


たつの市滞在中にすっかり陽が落ちてしまいました。

気が付けば何も食べていませんでした。
郷土料理など食べられないかと模索していた時に目に飛び込んできたのがこの店です。
何と全国チェーンである「得得うどん」でした。
誰かに聞いて地元の人気食堂などで食べるのが嬉しいのですが
流石にこの時は「腹が減りすぎていました(笑)」
躊躇なく「得得うどん」に入店し「きつねうどん」を食べました。
「得得うどん」も以前には新潟市にもありました。
讃岐うどんの全国チェーンが新潟に進出してきたころにはもうなくなっていました。
久しぶりに食べたこのチェーン店のうどんは美味かった。
ただし、腹が減っていたというのが「美味しいと思った」最大の理由だと思う(笑)


お腹が落ち着いたので少し休憩してから国道2号線に戻りました。
兵庫県たつの市を出たのが18時頃でした。その後岡山県を目指しました。
外は真っ暗です。道路標識だけを頼りに車を走らせました。
たつの市を出てから「播州赤穂市」「備前市」などを通った記憶があります。
「赤穂市」は「赤穂浪士」で有名な街ですし「備前市」と言えば「備前焼」です。
特別先を急ぐ旅ではなかったのですが、これだけ真っ暗だと景色を楽しむ余裕などありませんでした。

岡山市も通り過ぎたつの市を出てから5時間ほど経ちました。
お腹がすいたので国道沿いで今日の2回目の食事です。
ここは岡山県笹岡市というところです。
そこで目に留まったのが全国チェーンである「来来亭」でした。
ラーメンの全国チェーンである「来来亭」は新潟市にもあります。
しかし、いままで一度も利用したことはありませんでした。
初利用です。
来来亭の「チャーハンセット」を食べました。
この店でとても嬉しかったのが食卓に食べ放題の「梅干し」があったことです。
疲れていたのだと思います。その「梅干し」がとても美味しく感じました。
梅干しの「クエン酸」が疲労物質である「乳酸」を分解してくれると言います。
きっとそんな効果があったのでしょう。
全国チェーンのお店は「豚骨こってり系ラーメン」が主流です。
このお店もそうでした。しかし、卓上の「梅干し」が口の中もサッパリとしてくれました。


食後さらに車を走らせました。
午前1時を過ぎていました。宿泊する場所などありません。
国道沿いの道の駅で車中泊しました。
穏やかな夜でした。毛布をかぶっただけで暖かく寝ることができました。

次の目的地は広島市です。

つづく。

※多分投稿の容量が大きすぎたのだと思います。
一度に投稿できませんでした。そこで分割投稿にしました。
OJIJIの旅-4①を先に読んでくれると全体が繋がります。

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2024年01月14日

OJIJIの旅-4①

2023年12月7日(木)

本日の最大の目的地は「姫路城」です。
「国宝姫路城」での撮影。そして童謡「あかとんぼ」のふるさと「たつの市」の記録です。


国道2号線を走り、「神戸市」に入りました。
神戸も以前通ったことはあるのですがしっかりと街を見たことの無いところです。
神戸の街は「山にへばりついて」いました。


瀬戸内海に沿って背後に山を抱えた神戸市は平地が少なく、住宅地などは
瀬戸内海に迫るような山にまるで「へばりつくように」広がっているのです。
美しく可愛らしい住宅がたくさんありました。
住宅が山に沿っているので生活に必要なスーパーなども同じように山にありました。
大型スーパーの駐車場で撮影しました。


遠くに瀬戸内海が広がっています。
1995年1月17日に「阪神淡路大震災」がありました。
このあたりも大被災地だったはずです。
あれから約30年になります。神戸の街はすっかり復旧しておりかつての賑わいが戻っています。
神戸市は大都市です。国道を走っていながらもステキな神戸を感じました。


神戸市を後にして、国道2号線沿いに瀬戸内の暖かそうな海を眺めながら走りました。

国道2号線沿いでこんなものを見つけました。
廃自動車部品等で作ったオブジェです。
ここは自動車修理工場のようでした。趣味で作った作品だと思います。
単色の赤にしていたのでとても目立ちました。





ついに本日の最大目的地の「姫路城」に到着しました。


世界文化遺産・国宝「姫路城」です。




威容を誇る「姫路城」の雄姿です。








姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」も見学しました。
最高のモミジに出会いました。








姫路城はとても美しかった。感動しまくっていました。写真は100枚以上撮りました。
どの写真もそれぞれのシーンを思い出し、あの美しさに魅了された感動がよみがえってきます。

姫路城を後にして童謡「あかとんぼ」の郷、兵庫県「たつの市」をめざしました。
  

2024年01月12日

OJIJIの旅-3

2023年12月6日(水)

この日早朝に「天橋立」に到着。
日本三景の一つである「天橋立」を見物しました。
子供の頃から名前だけは知っている「天橋立」
いったいどんなところなのだろう?
昨日見た「東尋坊」のような奇岩とか?何だか目の前に「パァー」と広がる景観とか?
むむむむ・・・・・・・・・・・
看板には「天橋立」と書いてありますが・・右手は何やら海のよう。
目の前はとこまでも続く林道。それも見晴らしが悪く、すぐに景色は消えてしまう。
そう思いながら右・左と眺めながら先に進んでいきました。
「ああぁぁぁ!!!!」こういうことか、、、と納得できたのが海岸からどこまでも続く陸地でした。
そうなのです。「天橋立」とは宮津湾を対岸までつなげている、
島のような陸地のような林道のようなところだったのです。
「燈台下暗し」でここはどこか高く遠いところから眺めると最高の景勝地なのです。
OJIJIはそんなことを知らなかったので目の前の景色だけから全てを理解しようとしていたのです。

「天橋立」




この「案内板」のようになっていて対岸までつながっているのです。


ウロウロしているうちに「日の出」の時間になりました。7時18分。
「天橋立」の早朝も寒かったです。天気は晴天。日の出が美しかったのをアリアリと記憶しています。


ずっとこんな林道が続いています。


ずっとこんな林道が続いています。


日本三景の碑
「丹後の天橋立」「宮城の松島」「安芸の宮島」は「日本三景」である。と記されています。


京都府宮津市のマンホールの蓋。「天橋立」がデザインされています。


せっかくここまで来たのだから対岸からも天橋立を見てみよう。
と思い国道を通って対岸に向かいました。
天気が良く対岸まですぐに着くだろう。。。と思っていましたが
結構な時間がかかりました。
ここから反対側を見ることができるのだろう。
と言うところは結局わかりませんでした。
湾岸の国道は細く、貧しい漁村が続いているという感じでした。
どこまで行っても同じだったので途中で引き返しました。
ここは「宮津湾」です。京都府内です。
とりあえず京都市の方に向かい車を走らせました。

お昼になったので「餃子の王将」の餃子定食を食べました。
「餃子の王将」は京都発祥の全国チェーンです。勿論新潟市にもあります。
しかし、近所にあるがゆえに普段利用しようとは思いません。
旅に出た今回だからこそ利用しようと思いました。
餃子の王将の専用タレがセットされています。
はじめはそれで食べてみました。しかし、OJIJIの口に合いません。
普通の「濃口醬油」を頼みました。それにラー油を入れた食べなれた「餃子タレ」でいただきました。


食事を終えてから天気の良い京都府内の景色を楽しみながら車を走らせました。
道路標識を見るとこの道を行くと「宇治の平等院」にたどり着ける。ということがわかり
「宇治の平等院」を目指しました。
京都府道3号線を「宇治川」沿いに「平等院」に向かいました。
天気が良かったことは良く覚えています。しかしこの日は写真を殆ど撮っていませんでした。
陽が眩しく、車を安全に走らせることを最優先にしたので写真が後回しになったのだと思います。

「宇治平等院」に到着したのが13時半頃だったと思います。
しかし、「平等院」を見学することはできませんでした。
理由はなんと「駐車場問題」でした。どこの駐車場も満杯でした。
観光地の駐車場です。30分の利用で1000円くらいします。
それでも「宇治平等院」の周辺駐車場のどこにも停めることができませんでした。

せっかくここまで来たのに・・・
もう人生で二度と来ることは無いだろうに。。後ろ髪を引かれる思いで「宇治平等院」を後にしました。
こんな「宇治平等院鳳凰堂」の姿を見たかったです。

※この画像はイメージ画です。

早朝から車を運転し続けでいます。
途中で何度も休憩をとりながら「安全運転」を心がけました。

さぁ!! 次は「琵琶湖」を目指しました。
「琵琶湖」は日本最大の湖です。
過去にも琵琶湖沿いの国道を車で走った記憶はあります。
しかし、そばを通っただけで「琵琶湖」をしっかりと見たことはありません。
途中で何度も人に道路を聞きながら標識を頼りに琵琶湖を目指して車を走らせました。
ついに京都府宇治市から滋賀県大津市まで戻りました。

やっと」琵琶湖」に着きました。2023年12月6日(水)15時40分です。


冬至が近く一年で一番日暮れが早い時間に琵琶湖にいました。




琵琶湖に陽が落ちていきます。16時09分。
本日「天橋立」で日の出を見て(7時18分)この時間に「琵琶湖」で日の入りに出会いました。


対岸が薄暮から夕闇と変化していきます。


琵琶湖を一周しようと思いました。
しかし、陽が落ちてしまった湖はなんの魅力もありません。
湖の表情が確認できないからです。
それでもまだ真っ暗にならない前に琵琶湖の夜景を何枚も撮影しました。
どうせ一周できないならと随所にある駐車場ごとに違う夜景を撮影しました。

すっかり陽が落ちて湖の夜景が美しく輝いていました。


真っ暗になったので彦根市の方に向かいました。
その後主要国道を目指して真っ暗な中を走りました。
結局国道8号線に合流して京都市の方を目指して走りました。
国道8号から国道1号に合流しました。

琵琶湖沿いからまた国道1号沿いに「大津市」に戻りました。
お腹がすいたので国道沿いの「天下一品」を利用しました。
「天下一品」も京都発祥のラーメン全国チェーンです。
こってり濃厚豚骨ラーメンが名物で「天下一品」のファンは全国にいます。
新潟市にもかつて西区に店舗があったのですが現在はありません。
新潟市にあった時は一度も利用したことがありませんでした。
いずれにしても初天下一品です。豚キムチセットを食べました。19時頃

豚キムチがとても美味しかったです。
こんな美味しい豚キムチは初めて食べました。
しかし、超濃厚豚骨ラーメンはOJIJIの私にはとてもきつかったです。年齢的にです(笑)
そして関西系ラーメンの特徴である乾麺のようなストレート麺も口にあいませんでした。

食後に京都市を目指しました。
ここら辺が京都市内のはずだ。
京都駅の近くを通ったはずなのですが記憶にありません。

国道一号で大阪府を目指しました。
大阪市内に入ったのがわかりました。
年末です。ずいぶんと街が賑わっていました。
街のイルミネーションも随所で確認しました。
どこか駐車場を見つけて、街見物をしたかったのですが、
車の流れに乗るのが精いっぱいでした。
大阪市の繁華街を抜けると少し落ち着いてきました。
それでも国道沿いの駅の周辺は人で溢れていました。

手に汗をかきながら車のハンドルをしっかりと握っていました。
大阪市内の超繁華街を抜けたあたりにこの店がありました。

大阪の激安で有名な「スーパー玉手」の"ド派手"な看板に出会いました。21時半頃

なんなくこの看板をみると安心しました。
ここでおにぎりを3個買いました。何と一個60円なのです。激安です。
玉出スーパーを利用したのも13年ぶりだと思います。
何となく珍しくて店内をウロウロして見物していました。

取り合えず車を駐車できるところでさっき買ったおにぎりを食べようとしていました。
玉手スーパーをあとにしてほどなく「100円ローソン」を見つけました。
「100円ローソン」は東京に出たときによく利用します。旅に出たときには見覚えがあり
利用したことのある店を見つけるとなんとなくホっとします(笑)
100円ローソンでカップ麺とドリンク、スイーツ等を買い、カップ麺にお湯を注いで
車に戻り、すぐ近くの公園の駐車スペースでおにぎりやカップ麺・スイーツ等を食べて少し休憩しました。

この日はたまたま見つけた「素泊まり2500円」の宿を利用しました。貧乏旅行です(笑)

明日は兵庫県に入り、「神戸市」や「姫路城」の撮影と見学が目的です。

つづく。

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2024年01月11日

本日は晴天でした。2024年1月11日(木)


2024年1月11日(木)

本日の新潟市は晴天でした。
しかし、真冬です。気温は上がらず寒い一日でした。
体調がよかったので車で「新潟西海岸」の「夕日ロード」を走ってきました。

海岸近くでも白波が立っていました。
遠くに「佐渡」が見えます。


肉眼では対岸の「佐渡」がハッキリ見えました。


澄んだ青い海と白波はこの時期らしいコントラストです。


海岸に車を停めて「サーフィン」を楽しんでいる方々が見えます。


海岸に到着するまで西区の液状化現象被災地を通りました。
「砂」が吹き出たのだろう。と思える箇所が何か所もありました。
ニュースで大きく取り上げられた「新潟西郵便局」は工事をしていました。
車が傾き砂に埋まっていた画像がニュースに流れましたが、現在車は救い出され、
元の駐車スペースに戻す工事をしていました。郵便局にも用事があったのですが
さすがに工事をしているこの郵便局を利用するのは躊躇しました。
業務は通常通り行われていたようです。

通り沿いではブロック塀が倒れていたところも随所にありました。
アスファルトがめくりあがっているところもありました。
飲食店は休業しているところが沢山ありました。

復旧ボランティアも入り、今日のような天気の良い日は作業が進んだことでしょう。
抜本対策の無い自然災害です。被害にあった方々の心の回復と
こんな恐ろしい自然災害が無いようにと祈るだけです。

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Posted by 越後OYAJI at 23:52Comments(0)

2024年01月10日

OJIJIの旅-2

2023年12月5日(火)

車中泊でしたが外が明るくなってきているのを感じました。
被っていた毛布を取り除くと目の前に「日本海」が広がっていました。
ここが「東尋坊」なのか!!!!
一生で一度だけでよいので見てみたいと思っていた景勝地です。

車を降りてトイレを利用し、ゆっくりとあの奇岩に近づいていきました。
一瞬でした、テレビや画像で見たことがある景色が目の前にありました。
今回の旅の最初の目的地がここでした。新潟市から400㌔車で走ってたどり着きました。
とにかく感動です。もう二度と実物を見ることができないだろう。
と思うとカメラのシャッターを切る回数が自然と増えていきました。





師走の早朝です。越後ojiji以外には誰もいませんでした。






感動しまくりながらしっかりと景色を目に焼き付けました。


海岸から駐車場につながる途中に「恐竜」のこんな像が立っています。
福井県は「恐竜の化石」が沢山出る地ですのでこんなのを設置したのだと想像しました。


東尋坊を後にして福井県内で特別有名なところである「永平寺」に向かいました。
「永平寺様」は禅宗の一派である「曹洞宗」の大本山であり「修行の場」である「霊山」です。





永平寺全体は「苔むして」いました。




永平寺は福井県内屈指の観光スポットです。
この日も団体旅行と思しき方々がたくさんいました。
勿論、曹洞宗の信者の方でこの大本山をお参りに来た方達も沢山いたことと思います。


越後ojijiの知り合いの方で「僧侶」になった人がいます。
京都で生活するうちに曹洞宗に出逢い、仕事をしながら京都で修行していたそうです。
しかし、「禅」の神髄を修行するのが大切なことに気が付き、新潟市で少し生活してから
この永平寺で修行に入りました。「永平寺に修行に行くよ」、という言葉を聞いたのが最後で
その後お会いしていませんが立派なお坊様なったことでしょう。
そういうことで修行の大切な場です。越後ojijiは観光客的な行動は慎みました。
この場で今も寒さと闘いながら精神修行を行っている僧侶達がいることに「敬意」を感じました。


「東尋坊」「永平寺」を見学してから福井市に向かいました。
永平寺から福井市内までは思っていたよりも近かったです。
この日は薄曇りで時々日が差す快適な日でした。
車を運転していたとても楽しかったです。
新潟市を出発して二日目です。
OJIJIの年齢的には疲れが出てきても不思議ではないのですか
何故か?疲れは感じませんでした。

福井市に到着しました。
福井名物の「ソースカツ丼」を食べました。
福井のソースカツ丼を食べるのも今回の旅の目的でした。
新潟のタレカツ丼と見た目がそっくりです。
「ソースカツ丼」は全国に沢山あります。新潟近隣では会津のソースカツ丼が有名ですし、
長野県のカツ丼もソースカツ丼です。
しかし、新潟タレカツ丼は全国的には珍しい部類にはいります。
全国的にはソースカツ丼の方が一般的なのです。
10年以上前に一度だけ「福井のソースカツ丼」を食べた記憶があります。
それ以来、いつかもう一度このカツ丼を食べたいと思い続けていました。
福井ソースカツ丼はあっさりとしたソース味で「新潟タレカツ丼」に近い味です。
OJIJIは年齢的に二度とこの地を訪れることは無いだろう。
と思うとゆっくり味わって美味しくいただきました。




その後福井県内を見物しながら国道8号線に合流しました。
次の目的地は「天橋立」です。福井県から京都府の「丹後宮津」を目指しました。

この日の夕飯は越後ojijiの大好きな「スタミナ太郎」でした。
国道沿いで偶然見つけて躊躇なく入店し、いつも通りに沢山いただきました。
好きなものを好きなだけ食べる。最高の幸せです。大好きなスタミナ太郎を利用したのは
一か月半ぶりだったのでとても満足しました。
食べる・暖まる・満足する・・・つかれも吹っ飛んだような気になりました。



国道8号を走って午後9時頃に「道の駅河野」に着きました。
ここは敦賀湾沿いです。対岸に今回の能登半島地震で話題になった日本原電「敦賀原発」や
「動燃の高速増殖炉もんじゅ」のあるところです。
石川県の志賀原発もこの敦賀湾沿いの原子力発電施設も被害が無かったのは幸いなことでした。
今回の地震で大きな揺れ、大津波警報。。。すぐに頭をよぎったのは「東日本大震災」時の
福島第一原子力発電所の事故でした。
越後ojijiが一か月前に通った道です。そこでもし今回の震災に遭っていたら・・・
とても恐怖を感じました。


この日は国道沿いのビジネスホテルを利用しました。

次に続きます。

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2024年01月09日

昨日の雪がまだ残っています-2024年1月9日(火)


昨日雪が積もりました。
越後ojijiの駐車場で約10㎝くらいです。
昨日・今日と厳しい寒さです。

今日もまだ雪は残っています。


駐車場の残雪です。


空です。
越後ojijiが見える範囲で古綿色の重たい雲が空を覆っています。
この雲をみると暗い気持ちになります。
何時までも晴れ上がった空に出会えないような「絶望的な気持ち」になるのです。
でも決してそんなことは無いのです。雲はいつか流れていきます。
悪魔のように覆いかぶさっているかに見える雲こそが次の晴れた空を期待させるのです。
寒いです。ちょっと辛いです。しかし、OJIJIは被災された方からみれば、どんなに幸福か!!!!
今、そんなことを思っています。


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Posted by 越後OYAJI at 16:19Comments(0)