2016年02月10日

判決


本日(2016年2月10日)とても悲しい事件に関わる判決が出た。

判決

昨年2月に川崎市でおきた中学1年生殺害事件の主犯格の少年に対する判決だ。
事件そのものは報道されているようにとても悲惨な事件だ。
思い出したくも無い。報道に接するだけで涙がでそうになる。

判決は少年法に基づいた不定期刑で懲役9年~13年というものだ。
法の範囲内で判決を出さなければならない。法治国家であるので当たり前だ。

しかし、被害者家族の心情は察するにあまりある。
悲惨な方法で殺害したのだから、殺害した方も同じ目にあって「死刑」になって当然。
と思うのが当たり前であろう。
「罪を憎んで人を憎まず」。聞いたことがあるような言葉だ。これも当事者なら
「私には無理、無理、無理、無理、無理」と思って当然なのだ。

被害者家族が精神的に立ち直るまでには「気の遠くなるような時間」が必要なのだ。

何故、求刑の10年~15年の不定期刑が選択されなかったのかというと
裁判官と裁判員が被告の生育歴に着目したのが原因らしい。

判決文で裁判長は悲惨な事件をおこしたことへの最大限の非難の言葉を述べた
その一方で「被告が共感性を欠くことや、問題解決力の弱さ、暴力を容認する未熟さは、
両親による成育環境が大きな影響を与えている」とも指摘した。

ここからが本題なのですが。

報道や判決で事実認定されたことが事実なのですが犯人の少年はどんな思いで
こんなことができたのでしょう。
わたしにはこの少年の「脳」が腐っていたのではないか。と思えてしょうがないのです。

この世に生を受けてから「脳」はどんどん成長していきます。体内にいるうちに
「女脳」や「男脳」ができたり、生まれてからは身体の成長とともに脳が生育していきます。
ある程度の年齢になるとホルモンが多いに脳に影響を与え、脳が進化しています。
ところが、家庭環境や生活環境も含めた生育過程でホルモンが充分に働かないと、
脳に障害が出ます。発達障害です。
私はこの被告にも深刻や心理的障害と脳の発達障害(広汎性発達障害)があったのだと思います。

この被告に懲役を与えても、まともな心を持った大人になることはないでしょう。
懲役を与えながら、心理療法、精神治療等の医学的療法で、心を解放させて
罪を悔やむことのできる「こころ」を作りあげなければなりません。

皆さん、気づいてください。少年刑務所に入る被告は国民の税金で治療を受けるのです。
虫けらを殺すのと同じ感覚で人の痛みに共感できないような人間を税金でいかして、
飯も食わせて、場合によっては差し入れのものを食べたりもできたり、
風呂にも入れるし、状況によってはテレビも楽しむことができるでしょう。

そして、捜査・取り調べ・裁判・収監・治療の全てが税金でまかなわれるのです。
これくらい税金の無駄使いはありません。
一人の罪人の為に多額の税金を使い、どこまで更正できるのかは不明なのです。
「なんとバカな」と大声で叫んでも殺された中学一年生は戻ってきません・・・・

「罪を憎んで人を憎まず」どこかできいたことがあります。
問題はこんな被告少年を作り上げてしまったということです。
この子も生まれた時からこんな子ではなかったはずです。

どこかで歯車が狂ったのです。周りでしっかりとみることができれば
気がついたかもしれません。こんな悲惨な事件をおこすようなことはなかったでしょう。
周りが気がつかなかったのが今回の事件の最大の問題なのです。

子供が体内ホルモンの影響を受けながら脳を成長させ、その脳のの状況により
どんな行動をするか。ということの知識をもつことが親やその周辺でとても大事になってきます。

平気で殺人ができる被告少年もある意味では社会から理解されない
社会的被害者なのかもしれません。

最近、20才以下の少年による殺人・殺害事件が多発しています。
鬱積したこの社会では充分に脳の発達がなされない少年が育って当たり前なのです。

周りが色々な異変に気がついて早め早めに対処していくのが
「社会的危機管理」だと思います。

えちごおやじ 越後OYAJI 越後おやじ 越後親爺 エチゴオヤジ ECHIGO OYAJI  えちごOYAJI 







Posted by 越後OYAJI at 23:35│Comments(0)
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