2018年05月31日
邂逅-時間つぶしのつもりが、、、
四谷から新宿に電車で移動しました。
四谷駅の次ぎの駅が「信濃町駅」です。
この駅には大変な思い入れがあります。
前稿で思い出に浸った私の尊敬する人物に関わる施設である「慶応病院」がある駅です。
その方は病弱な方で慶応病院に何度も入院され、手術もうけられています。
また越後OYAJIが心を揺さぶられた文学作品で慶応病院が象徴的にでてきます。
一般的には神宮外苑で「神宮球場」や現在工事中の「国立競技場」などがあるところです。
色々なイベントや結婚式等でよく名前の出てくるの「明治記念館」もここにあります。
私的に思い入れがあるのは駅の近くに日本キリスト教団「信濃町教会」があることです。
さらに「文学座」がここにあります。文学座の舞台公演は新潟でも時々あります。
もう随分と古い話ですが、文学座の大看板である「杉村春子」さんとお話をしたことがあります。
故杉村春子氏は築地小劇場出身で文化功労者でありましたが、何と文化勲章を辞退した方です。
築地小劇場といえばプロレタリアート演劇の中心でした。
杉村氏は見方によっては反体制的な生き方を貫いた方です。その方はお上からの「お褒め」などは
極力嫌ったのだと想像しています。
杉村氏とお話をして食事の場に一緒した時に氏は「新潟のコシヒカリご飯は美味しいですね。」
と繰り返し言っていました。私達は貧乏暮らしをしてきた世代ですから、
美味しいご飯をいただけるのが一番の幸せなのですよ。。。。。
この言葉は今でも越後OYAJIの心に染みついています。
電車の窓からぼんやりと外を見ていて、そんなことを思い出していました。
さて、新宿につきました。
新宿は単なる時間つぶしのつもりだったのです。
今や新宿のシンボルになった「ゴジラ」です。
新宿歌舞伎町 とてもにぎやかです。
邂逅とは偶然に出会うことです。
実に数年ぶりに"出会いました"
東京ちからめしの「焼き牛丼」です。
アップです。
東京ちからめしは2012年に「焼き牛丼」の店として東京にできました。
約1年で東京都下に約100店舗出店しました。
牛丼と言えば吉野家やすき家の牛丼です。
それを敢えて焼き肉にすることで差別化をはかり、一時は日本をを席捲するのでは。。。
という勢いでした。しかし、数年で殆どの店が消滅しました。
現在は全国に数店舗あるだけだそうです。
飲食商売の難しさ、栄枯盛衰を瞬く間にみた感じでした。
その稀少な一店が新宿にありました。
久しぶりに食べてのですが、勢いがあった頃の「焼き牛丼」ではありませんでした。
ちょっと残念な気分でした。。。。
何となく、新宿で時間つぶしをして東京を後にしました。
東京にいたのはこの一日だけでした。
その後私に課せられた大切な役割を果たして数日後に新潟に戻りました。
えちごおやじ 越後OYAJI 越後おやじ 越後親爺 エチゴオヤジ ECHIGO OYAJI えちごOYAJI
Posted by 越後OYAJI at 11:41│Comments(2)
この記事へのコメント
「栄枯盛衰」いつも考える。時代を読めないといけないし、嘘はいけない。体力も要る。飽きないもんだ。
Posted by わかばかん at 2018年06月03日 18:05
「栄枯盛衰」は人生そのものなんだろうなぁ~
「最高の立場」と「どん底」を味わった私にはもう恐いものは何もありません。
「最高の立場」と「どん底」を味わった私にはもう恐いものは何もありません。
Posted by 越後OYAJI at 2018年06月05日 21:00