2024年02月22日
OJIJIの旅-11②
越後ojijiの旅-11②
2023年12月14日(木)
水俣病について考える。
『水俣メモリアル』
水俣病被害と人の命をイメージしたオブジェです。
鹿児島県出水市と熊本県水俣市は隣接しています。
この標識の裏には鹿児島県出水市と書かれています。
国道3号線を走っているとミカン畑がいたるところにありました。
暖かい九州・四国はミカン栽培が盛んなんだと実感しました。
これは「夏みかん」です。
これは普通の「温州みかん」です。
水俣病を学ぶ資料館は「まなびの丘」というところにあります。
ここは水俣市のエコパーク水俣(水俣広域公園)という広大な公園に隣接しています。
国道3号線からすぐのところです。
水俣病資料館に着きました。
修学旅行でしょうか? おおくの子供達が見学に来ていました。
子供たちにとって大切な学習の場です。
『水俣病』という病気は他人ごとではありません。
読者の方々は「第二水俣病」という言葉を知っていますか?
「第二水俣病」というのは『新潟水俣病』のことです。
熊本県水俣で起こった大変な公害病が実は新潟でも起こっていたのです。
熊本・新潟の水俣病の原因・結果・その後などを書きだすとこのブログが終わりません。
過去のこととして終わっているのかもしれません。
でもいつまでも私達は考えなくてはならないテーマです。
以下を参考にしてください。
※熊本水俣病については
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85
https://medicalnote.jp/diseases/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85?utm_campaign=%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85&utm_medium=ydd&utm_source=yahoo
※新潟水俣病については
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85
https://www.humanservices.jp/wp/wp-content/uploads/magazine/vol50/49.pdf
↑ウィキペディアは必ずしも正しい情報を記載していません。
鵜呑みにしないで必ず検証をお願いします。by 越後oyaji
資料館の内部です。
水俣湾がメチル水銀で汚染され、食物連鎖で人間にまで害を及ぼした病気。
病気の原因とされたのが「有機水銀汚染の魚」でした。
現在は水俣湾は安全な海になっています。
タレントで水産学者の「さかなクン」からのメッセージもありました。
現在の水俣湾(八代海)です。過去にあんな大公害があり多くの人が亡くなり、
現在も多くの方々が苦しんでいる公害病の「場」となったところです。
そんな過去を微塵も感じさせないほどに「清浄化」され安全になっています。
水俣湾(八代海)は穏やかでした。
八代海(水俣湾)の名の通り水俣市の北に「八代市」があります。
「八代市」出身の大歌手「八代亜紀」さんの出身地です。
OJIJIが旅行を終えた後の12月30日に逝去なさいました。
この地域を車で走っている時に「八代亜紀」さんのことが
頭に浮かんでいたのを覚えています。がその後にお亡くなりになるとは・・・
水俣市を後にして熊本市を目指しました。
途中で食べた「熊本ラーメン」です。
「マー油」という独特の「油」を入れるのが特徴だそうです。
水俣病に関しては書くのも辛いです。
それは「広島平和公園」「鹿屋の特攻基地」の記事を書いたときと同じです。
でもそこまで行って良かった。命を考える色々な示唆を与えられた。
そう思っている越後ojijiです。
新潟水俣病に関してはいずれ書かなければならない時がくると思っています。
新潟水俣病を見つけた新潟大学のT教授ご夫妻とは医学と別の関係で親しくしていただきました。
また越後ojijiの関係者は阿賀野川沿いの自治体で医療関係に従事していました。
勿論、新潟水俣病と関わっていたはずです。
命について考えるときに「公害病」や「戦争」など
あってはならない事実と向き合わなければならない時は
本当に本当に辛いです。
えちごおやじ越後OYAJI越後おやじ越後親爺エチゴオヤジECHIGO OYAJIえちごOYAJI
Posted by 越後OYAJI at 08:40│Comments(0)
│OJIJIの旅[2023年12月]